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天壤の差あり。要するに義理は、人爲の社會、即ち血統爵位の如き、人生偶然の差等の、階級の序を成し、家族は國家の單位たり、年齒は才幹よりも重く、自然の愛情の、往々人爲の專横なる慣習に屈從する社會の狀態の產物なり。義理は人爲なるを以て、遂に漠然たる觀念に陷り、唯だ彼を說明し、此を是認するの儀則となり終れり。例せば、母たるものゝ、止むを得ざるに當りては、弟妹を犧牲として、長子を救ひ、女子たるものゝ貞操を賣りて、父の酒色を購ふことあるは何が故ぞ、是れ即ち義理なりと稱す。されば義しき道理を本としたる義理は、往々偏して單に決疑の規凖となり、又た遂に墮落して、人の誹謗を畏怖するの念となれり。スコツトの愛國心を稱して、『似而非なる他の感情を蔽へる、最も美