奉事するが如き、一に愛を以て動機とすべきものなるに、若し之を缺かん乎、乃ち他の權能の能く人をして孝ならしむべきもの無くんばあるべからず。是に於て乎、世は乃ち義理に於て其權能を作爲せり。愛の自から德行に馳すること無くんば、乃ち人の知能に訴へ、其理性を勵まして、行正しきを要することを曉らしめざるべからず。されば義理の權能の形成せられたる良に以ありと謂ふべし。他の道德責任に於けるも、亦た皆斯の如し。今夫れ、人の義務を厭ふや、義理は直ちに現はれ來りて、此れより免る能はざらしむ。義理は、譬ふるに、嚴酷なる敎師の如し、笞を執りて、懶惰の兒童に臨み、其分を致さしむ。されば義理は道義の力の副位に在りて、彼の基督の敎の、愛即ち法を以て動機とするとは