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Page:Bushido.pdf/64

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 封建の季世、武士は長時の泰平に馴れて、安逸遊惰の生活を樂しみ、從つて放肆懦弱に流れ、風流文雅に淫したりと雖、此時に當りて尙ほ、義士たるの稱は、學術技藝に長ずるの名に優ること遠しとしたり。されば赤穗四十七士に冠するに、義の一字を以てして、士は之を欽慕し、其芳烈美名は、德敎を維持するに、著大の効を有するに至れり。

 輙もすれば權謀を以て戰術となし、詭道を以て兵略となすの時代に在りても、義と名づくる此の率直正大なる丈夫の德は、燦爛たる明珠の如く、人の歎賞して措かざるところなりき。義、勇の二は、雙生せる武德なり。されど、勇の說を爲すに先だち、由來義より出でゝ、而して初は義と異ること毫釐の間なりしと雖、漸次懸絕して、遂に世俗の曲解妄用に