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の靈との宿れる聖廟なりとす。吾人の觀念よりせば、至尊は單に法治國レヒツスタート警務長官チーフ、コンステーブルたり、文治國クルツアスタート保護者パトロンたるものに非らず。寔に昊天の權化とし、其靈威と德澤とを體して、此國土に降臨せるものなりと信ず。ブートミー氏が、英國王家を評して、『啻に權威を體するのみに非らずして、又た國家統一の造營者なり、其標準なり』と云へるを眞理なりとせば、予は信ず、更に此說を擴充して、此れぞ洵に日本帝道を謂ふべきなりと。

 神道の敎義は、乃ち日本民族の情感的生命の二大特質たる忠君、愛國の道を說くものなり。ナツプ氏が、『希伯來の文學に於ては、聖書の記者の語る所に就いて、神なるか、將た國家なるか、天なるか、將たエルサレムなるか、救世主なるか、