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本神道にても自知とは、自己の身體の構造、若くは精神物理を明かにするの謂にあらずして、其知識は即ち道德的なり、我德性を內に自から省ることなり。史家モムゼンは、希臘人と羅馬人との禮拜を比較して、希臘人は天を仰ぎ、其祈念は即ち冥想なりしと雖、羅馬人は之に異りて、頭を被ひ、其祈念は即ち自省なりきと云へるが、日本人の宗敎觀念は、其質頗る羅馬人に類するものあり。されど、吾人の反省は道德的なるよりも、寧ろ人々の國民的自覺を主とす。天然崇拜の念は、人をして、衷心深く此國土に愛着せしめ、祖先崇拜の念は、人をして血統の源に溯り、帝室を以て、全國民の宗家なりと信ぜしむ。日本人の思想にては、國土は單に金銀を掘り、五穀を植うるの土壤たるのみに非ずして、即ち神と祖宗