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將た國民なるか、其異同を辨ずるに苦しむものあり』とは、頗る眞を穿てるの言なり。而して此れと類せる混同は我國民信仰の用語に於ても亦た之を認む。高天原が天にして、又た國土たり、『まつりごと』が政事たり、祭事たるが如し。其言語の雙關せるが故に、予は論理學者の言を假りて、之を用語の混同と云ふ。されど神道は我邦人の國民的本能と、民族的感情とに因りて發生せるものにして、組織哲學たり、又た合理神學たることを僣するものに非らず。此宗敎、否寧ろ此宗敎の顯現する民族的情感は、君に忠に、國を愛するの念を以て、洽く武士道を鼓吹せり。此等の念は敎義たるよりも、寧ろ刺戟たるの作用を成す。神道は中世紀の基督敎と異り、信徒に課するに、