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て、正しく我腹を刺さしむ』と云へるに非らずや。又た近時の英國詩宗が、『亞細亞の光』に於て、劍を以て女皇の腹を貫くを詠ずるを讀め、而して人の彼れを罵つて猥褻なる英語を用ゐるものとなし、又た禮を失するものとなすこと無し。更に他の一例を擧ぐれば、ゼノアのプラッゾ、ロツサの美術館に入つて、ゲルチノが筆に成れるカトー自殺の繪畵を見よ。又たアヂソンがカトーをして歌はしめたる、絕命の詩を讀みたるものゝ、劍は深く其腹を刺すの姿態を冷罵すること無けん。日本人の割腹を見ること、此れに伴ふに頗る高尙なる行爲と、悽愴なる悲哀の事例とを有するを以て、毫も嫌惡の感を生ずること無し、されば焉んぞ之に酬ゆるに嘲笑を以てすべけんや。夫れ德性、偉大、優情の事物を