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Page:Bushido.pdf/180

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變化する力は洵に驚くべきものあり、葢し此れに由れば、最醜の死狀も極めて莊高となり、新生命の象徵となる。若し此力無かりせば、コンスタンチン大帝の目に映じたる十字架の徽號の、安んぞ得て世界を征服するあらんや。

 切腹は、之に伴ふ聯想のあるに由りてのみ、吾人の心に一點の不合理、醜陋の感を與へざるものに非らず。抑も殊に身體の此局部を選んで、之を切るは、即ち此れを以て靈魂及び愛情の宿る所となせる、古への解剖學的信仰に基くものなり。モーセが、『ヨセフのバエルスは、兄弟の爲にいたむ』と記し、ダビデが其腹(仁慈)を忘るゝ勿からんことをエホバに祈りたる、又たイザヤ・エレミヤ其他舊約時代の靈覺者が、『腹の響(切なるいつくしみ)』と云ひ、『我腹のなやみ』と云へるは、皆