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Page:Bushido.pdf/172

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に、敢て緘默せんと勉むるは、是れ决して東洋の人心の執拗冷淡なるが故なるのみに非らず。佛國タレランの云へるが如く、日本人に在りても亦た往々、談話は『思想を隱くすの技』たることあるを以てなり。

 外人試みに、日本の友人を訪ふて、其深甚なる悲嘆に沈めるを慰めんか、必ずや、其友の、赤き眼、濕へる頰にも、猶ほ莞爾として微笑を湛へ、以て彼れを迎ふるあらん。彼れは其友を以て一見或は狂ならざるやを疑ふべし。敢て友人が悲歎に沈むの理由を問はんか、友人は『人生悲哀多し』、『會者常離』、『生者必滅』、『死兒の齡を算するは癡なり、されど女は愚に流るゝものぞ』等、常套の數語を用ひて答ふるに過ぎざるべし。されば彼の高貴なるホーヘンツオーレルン陛