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虛名、世譽たるに過ぎざるものも、此輩尙ほ之を崇めて人生至大の賜なりとせり。盖し少年の欲する所は專ら名聞に在りて、富にも非らず、智にもあらず。少壯多く志を立てゝ鄕關を出づるや、名若し成らずんば、死すとも歸らじと誓ひ、大志の母多く、愛兒の、若し錦衣故鄕に還るにあらずんば、再び相見ゆるを欲せず。されば耻を遠ざけ、名を獲んが爲に、士人の子弟は、心志を苦しめ、筋骨を勞して、艱難の慘烈なるをも辭せざりき。而して少年の名譽は、年と共に漸く長ずるものなるを知りたり。大阪冬の陣の時、紀伊賴宣、今年十三歲なりけるが、父家康に請ふて先鋒たらんとして許されず、竟に其殿軍に加はりたり。然るに落城の時に際し、敵と刄を交ふるの機無かりしを悔い、頻に落淚に及びけるを、老