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ありたりと雖、牙籌數盤に至りては、之を厭棄して顧みることなかりき。然れども此の社會的配置は寧ろ智なりと稱すべきものあり。モンテスキユーは、徃時、貴族の商業に關與するを禁じたる其社會政策こそ、富の勢權に吸收せらるゝを防遏したる所以にして、頗る稱すべきものなれと論ぜしにあらずや。富と勢權との分離は、富の分配を略ぼ均等ならしむ。『西羅馬帝國衰亡時代の社會』の著者ヂル敎授は、羅馬帝國衰亡の一原因の、明かに貴族の商業を營むを許し、從つて富と勢權とが、少數なる元老門閥の專有に歸したる事實にあるを辯ぜり。
されば封建時代に於ける日本の商業は、社會狀態の抑壓によりて、自由なる發展を遂ぐること能はず、而も商賈の業