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但だ將軍の令を聞いて君命を聞かず。朕おもふに、此禮久しく廢す、今卿と將を遣はすの儀を參定せんとす、如何。」靖曰く「臣竊かに謂ふ、聖人の制作齋を廟に致す者は、威を神に假る所以なり。斧鉞ふゑつを授け又其の轂を推すものはゆだね寄するに權を以てする所以なり。今陛下師を出だすことある每に必ず公卿と議論し、廟に吿げて後遣る、此れ則ちもとむるに神を以てする至れるなり。將に任ずる有る每に必ず之れをして宜きに便し事に從はしむ、此れ則ち假るに權を以てする重きなり、何ぞ以て齋を致し轂を致すに異ならんや、ことく古禮に合へり、其義同じ、參定するをもちひず。」上曰く善しと、乃ち近臣に命じて此の二事を書せしめ後世の法となす。

 太宗曰く、「陰陽術數之れを廢すること可ならんや。」靖曰く「不可なり、兵は詭道なり、之れに託するに陰陽術數を以てすれば則ち貪を使ひ愚を使ふ、れ廢すべからざるなり。」太宗曰く「卿嘗て言ふ、天官時日、明將はのつとらず闇將は之れにかゝはると。廢するも亦た宜しく然るべし。」靖曰く、「昔紂は甲子の日を以て亡び、武王は甲子の日を以て興る、天官時日甲子一なり、殷は亂れ周は治まる、興亡異なり。又宋の武帝往亡の日を以て兵を起す、軍吏以爲おもへらく不可なりと、帝曰く我往いて彼亡ぶと、果して之れに克つ。此れに由て之れを言へば廢すべきや明かなり。然れども田單燕の圍む所となるや、單、一人に命じて神となして之をまつる、神言ふ、燕破るべしと。