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單此に於いて火牛を以て出でゝ燕を擊ち大に之れを破る、此は是れ兵家の詭道、天官時日亦ほ此の如きなり。」太宗曰く「田單神恠に託して燕を破る、太公蓍龜ききを焚きて紂を滅す、二事相反するは何ぞや。」靖曰く「其機一なり、或は逆にして之れを取り或は順にして之れを行ふ、是れなり。昔、太公武王をたすけて牧野に至る、雷雨に遇うて旗鼓毀折す。散宜生吉を卜して後ち行かんと欲す。此れ則ち軍中の疑懼するに因つて、必ず卜を假りて以て神に問はんとす。太公以謂おもへらく腐草枯骨問ふに足るなしと、且つ臣を以て君を伐つ豈に再びすべけんと。然らば機宜生は機をさきに發し、太公は機を後に成すを觀る、逆順異なりと雖も其理致は則ち同じ。臣さきに所謂術數廢すべからずとは、蓋し其機未だ萠さゞるに存す、其の成功に及んでは人事にあるのみ。」

 太宗曰く、「當今將帥唯だ李勣、道宗、薛萬徹。道宗を除いては親を以て外に屬す、れか大に用ふるに堪へん。」靖曰く「陛下嘗て言ふ、勣、道宗は用を用ひて大いに勝たず亦大に敗れず、萬徹は若し大に勝たずんば卽ち大に敗るべしと。臣愚、聖言を思ふに、大勝を求めず亦た大敗せざるは節制の兵なり。或は大に勝ち或は大に敗る者は幸にして功を成す者なり。故に孫子曰く善く戰ふものは不敗の地に立ち而して敵の敗るゝを失せず、節制我にあり、か云ふ。」太宗曰く、「兩陣相臨んで不戰を言はんと欲す、いづくんぞ得べけん。」靖曰く「昔晋師秦を伐ち、交綏して退く。司馬