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くなる。」靖曰く「臣、劉、項を觀るに、皆將に將たるの君にあらず、秦の亡ぶるに當りてや、張良本と韓の爲めに仇を報ゆ。陳平韓信皆楚の用ひざるを怨む。故に漢の勢を假り自から奪ふことを爲すのみ。蕭、曹、樊、灌に至つては悉く亡命による、高祖之れに因りて以て天下を得たり。し六國の後をして復た立たしめば、人人各其舊をおもはん、則ち能く將に將たるの才ありと雖も豈に漢の爲めに用ひられんや。臣謂ふに、漢の天下を得たるは張良が借筯しやちよの謀によれり、蕭何は輓漕の功なり。此れを以て之れを言ふ、韓、彭の誅せられ范增の用ひられざる其の事同じ。臣故に謂ふ、劉、項、皆將に將たるの君にあらずと。」

 太宗曰く「光武中興、能く功臣を保全す、任ずるに吏の事を以てせず、此れ則ち將に將たるに善きか。」靖曰く「光武前構にりて功を成すにやすうすと雖も、然れども莽が勢項籍に下らず、寇鄧未だ蕭張に越えず、獨り能く赤心を推し柔治を用ひ功臣を保全す、高祖にまさる遠し、之れを以て將に將たるの道を論ぜば、臣おもふ光武之れを得たりと。」

 太宗曰く「古は師を出だすに、將に命ずるとき齋すること三日。之れに授くるにゑつを以てして曰く、此れより天に至るまで將軍之れを制せよ、又之れに授くるにを以てして曰く、此れより地に至るまで將軍之れを制せよ、又其のこくを推して曰く、進退れ時ありと、旣に軍中に行いて