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能く人々をして自から鬪はしむれば則ち其銳當るなし、所謂朝氣は銳しとは時刻を限りて言ふにはあらず、一日の始末を擧げてたとへとせるなり。凡そ三鼓して敵衰へず竭きずんば則ち安んぞ能く必ず之れをして惰り歸らしめんや。蓋し學者徒らに空文を誦して敵の爲めにさそはる、苟も之れを奪ふの理を悟らば則ち兵任ずべし。」

 太宗曰く、「卿嘗て言ふ、李勣兵法を能くすと、久しく用ふべきや否や。然れども朕が控御するにあらずば則ち用ふべからず、他日太子治めば如何んか之れを御せん。」靖曰く「陛下の爲に計るに勣をしりぞくるにくはなし。太子をして復た之れを用ひしめば則ち恩に感じて報をはからん、理に於いて何の損あらん。」太宗曰く「善し、朕疑ふことなし。」

 太宗曰く「李世勣若し長孫無忌と共に國政をつかさどらば他日如何。」靖曰く「勣は忠義の臣なり保任すべし。無忌命をたすけて大功あり、陛下肺腑の親を以て之れが輔相に委ぬ。然れども外貌士に下り內實賢を嫉む。故に尉遲敬德は其の短を面折して遂に引退し、侯君集は其の舊きを忘るゝを怨み因つて以て犯逆す。皆無忌其の然るを致せるなり。陛下うて臣に及ぶ、臣敢て其說を避けず。」太宗曰く「もらす勿れ、朕徐かに其の處置を思はん。」

 太宗曰く、「漢の高祖能く將に將たり、其後ち韓、彭、誅せられ、蕭何獄に下る、何故に此の如