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あらざるなり。後人其の意を曉らず、則ち當に攻むべくして守り、當に守るべくして攻む、二役旣に殊なり、故に其法を一にすること能はず。」太宗曰く「信なるかな、有餘不足、後人をしてその强弱を惑はしむ、殊に知らず之れを守るの法は、敵に示すに不足を以てするを要し、之れを攻むるの法は敵に示すに有餘を以てするを要することを。敵に示すに不足を以てするときは則ち敵必ず來り攻む、是れ敵其の攻むる所を知らざる者なり。敵に示すに有餘を以てするときは則ち敵必らず自から守る、此は是れ敵其の守る所を知らざる者なり。攻守は一法なり、敵と我と分つて二事となすなり。若し我が事得るときは則ち敵の事敗る、敵の事得るときは則ち我が事敗る、得失成敗彼我の事分る、攻守は一のみ、一を得るものは百戰百勝す、故に曰く彼を知り己を知れば百戰あやふからずと、それ一を知るの謂ひか。」靖再拜して曰く、「深い哉聖人の法や、攻むるは是れ守るの機、守るは是れ攻むるの策、同じく勝に歸するのみ、若し攻めて守ることを知らず、守つて攻むることを知らずば、唯だ其書を二にするのみならず抑もまた其官を二にす、口に孫吳を誦すと雖も而かも心妙を思はず、攻守ふたつながら齊しきの說、それたれか能く其の然るを知らん。」

 太宗曰く「司馬法に曰く、國大なりと雖も戰を好むものは必ず亡ぶ、天下安しと雖も戰を忘るるものは必ず危しと、此れ亦た攻守一道か。」靖曰く「國をたもち家をたもつ者はいづくんぞ嘗て攻守を講