たり、實に兵を知る、遂に中原を取る、猛卒するに及んで堅果して敗る、此れ糜軍の謂ひか。吳漢は光武の任ずる所となる、兵遙に制せず、故に漢果して蜀を平らぐ、此れ孤旅に陷らざるの謂ひなり。得失事迹萬代の鑒となすに足れり。」
太宗曰く「朕千章萬句を觀るに、多方以て之れを誤るの一句に出でざるのみ。」靖良久うして日く「誠に聖語の如し、大凡兵を用ふるに若し敵人誤らずんば則ち我が師安んぞ能く克んや。譬へば蠻棋の兩敵均しきが如し、一着或は失すれば竟に能く救ふことなし。是れ古今の勝敗率に一誤に由るのみ、況んや失多き者をや。」
太宗曰く「攻守の二事其の實一法か。孫子言ふ、善く攻むるものは敵其の守る所を知らず、善く守るものは敵其の攻むる所を知らずと。卽ち敵來りて我を攻め、我亦た之れを攻むることを言はず。我若し自ら守るときは敵亦た之れを守り、攻守兩ながら齊ふときは其の術如何。」靖曰く「前代此れに似て相攻め相守るもの多し。皆曰ふ守るときは則ち足らず攻むるときは則ち餘あり、便ち足らざるを弱となし、餘有るを强となすなり。蓋し攻守の法を悟らざるなり。臣孫子を按ずるに、曰く、勝つべからざるは守なり、勝つべきは攻なりと、謂ふこころは敵未だ勝つべからずば則ち我且らく自から守り、敵の勝つべきを待つて則ち之れを攻むるのみ。强弱を以て辭をなすに