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邑兵法をさとらず、徒らに兵のおほきを誇る、自ら敗るゝ所以なり。臣孫子を按ずるに曰く、卒未だ親附せずして之れを罰すれば則ち服せず、すでに親附して罰行はれずんば則ち用ふべからずと。此言、凡そ將先づ愛を士に結ぶありて然る後以て嚴刑すべし。若し愛未だ加はらずして獨り峻法を用ひば則ち克く濟ふこと鮮し。」太宗曰く「尙書に曰く威の愛に克つときはまことに濟ふ。愛の威に克つときはまことに功しとは何の謂ぞや。」靖曰く「愛は先に設け威は後に設く、是に反すべからず。若し威前に加へ愛後に救ふときは事に益なし。尙書は其の終を愼戒する所にして、謀を始めにす所以にあらざるなり。故に孫子の法萬代けづらず。」

 太宗曰く「卿蕭銑を平ぐるとき、諸將皆僞臣の家を藉りて以て士卒を賞せんと欲す、卿獨り從はず、以て蒯通漢に戮せられず、旣にして江漢歸順すと謂ふ。朕是れに由つて思ふ、古人言へることあり曰く、文能く衆を附け武能く敵を威すと、それ卿の謂ひか。」靖曰く「漢の光武赤眉を平げ賊の營中に入り按行す、賊曰く蕭王赤心を人の腹中に推すと、此れ蓋し先づ人情をはかる、本惡むことを爲すにあらず、豈に豫め慮らざらんや。臣このごろ突厥を討ち蕃漢の衆を總ぶ、塞を出づる千里、未だ嘗てひとりの揚干をりくせず一の莊賈を斬らず、亦た赤誠を推し至公を存するのみ。陛下聽を過して臣を擢んづるに不次の位を以てす、若し文武に於ては則ち何ぞ敢て當らん。」