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ぞ牝牡の形のみを守らん。故に之れにかたちするものは奇を以て敵に示す、吾が正にあらざるなり。之れに勝つものは正を以て敵を擊つ、吾が奇にあらざるなり。此れを奇正相變といふ。兵伏すとは山谷に止まらず、草木伏藏す、伏となす所以なり、其正しきこと山の如く其奇雷の如し、敵面を對すと雖も吾が奇正の在る所を測ることなし、此に至つては夫も何の形か之れあらんや。」

 太宗曰く「四獸の陣又商、羽、、角を以て之れにかたどる、何れの道ぞ。」靖曰く「詭道なり。」太宗曰く「廢すべきか。」靖曰く「之れを存するは能く之れを廢する所以なり。若し廢して用ひざるときはいつはり愈甚し。」太宗曰く「何の謂ぞや。」靖曰く「之れを假るに四獸の陣及び天地風雲の號を以てし、又商金、羽水、徵火、角木の配を加ふ、此れ皆兵家古よりの詭道きだうなり。之れを存すれば則ち餘詭復た增さず、之れを廢すれば則ち貪を使ひ愚を使ふの術何につて施さん哉。」太宗やゝ久しうして曰く「卿宜しく之れを秘すべし、外に泄す勿れ。」

 太宗曰く「嚴刑峻法は人をして我を畏れしめ、而して敵を畏れざらしむ。朕甚だ之れに惑ふ。昔光武孤軍を以て王莽が百萬の衆に當る、刑法ありて之れに臨むにあらず、此れ何に由るか。」靖曰く「兵家の勝敗は情狀萬殊なり、一事を以て推すべからず、陣勝吳廣の秦の師を敗るが如き、あに勝廣が刑法能く秦に加へんや。光武の起る蓋し人心の莽を怨むに順へばなり。況んや又王尋王