Page:Bukyō shitisyo.pdf/85

提供:Wikisource
このページは検証済みです

天下を定め歌うて曰く安んぞ猛士を得て四方を守らんと。蓋し兵法はこゝろを以て授くべし語を以て傳ふべからず。朕破陣樂舞をつくる、唯だ卿すでに其の表を曉る。後世其れ我が苟も作らざるを知らん。」

 太宗曰く「方色五旗を正とせんか、旛麾折衝を奇とせんか、分合變を爲す其對數いづくんか宜しきを得るとせん。」靖曰く「臣古法を參へ用ふ、凡そ三隊合ふときは則ち旗相倚りて交はらず、五隊合ふときは則ち兩旗交はり、十隊合ふときは則ち五旗交はる。角を吹き五交の旗を開けば則ち一、また散じて十となり、二交の旗を開けば則ち一、また散じて五となり、相倚りて交はらざるの旗を開けば則ち一、また散じて三となり、兵散ずるときは則ち合を以て奇となし、合するときは則ち散を以て奇となす、みたび令していつたびぶ、三散じて三合ひ、た正に歸る、四頭八尾乃ち敎ふべし。此れ隊法の宜しき所なり。」太宗善しと稱す。

 太宗曰く「曹公、戰騎陷騎遊騎あり、今馬軍何等の比なるや。」靖曰く「臣新書を按ずるに曰く戰騎は前に居り陷騎は中に居り遊騎は後に居ると。此の如きは則ち是れ各名號を立て分つて三類となすのみ。大抵騎隊八馬は車徒二十四人に當る、二十四騎は車徒七十二人に當る、此れ古制なり。車徒には常に敎ふるに正を以てし、騎隊には常に敎ふるに奇を以てす。曹公に據るに前後及