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び中分つて三覆となす、兩廂と言はず、一端を擧げて言ふなり。後人三覆の義をさとらざるときは則ち戰騎必ず前にせん、陷騎遊騎に於て如何んぞ用ひしめん。臣此法を熟用して軍をめぐらし陣を轉ずれば則ち、遊騎前に當り戰騎後に當り陷騎變に臨んで分かる、皆曹公の術なり。」太宗笑つて曰く、「多少の人曹公の爲めにまどはさる。」

 太宗曰く「車、步、騎三つの者一法なり。其用ふること人に在るか。」靖曰く「臣春秋を按ずるに魚麗の陣は徧を先にし伍を後にす、此れ則ち車步ありて騎なし、之れを左右のふせぎといふ、拒禦を言ふのみ奇を出だして勝を取るにあらず。晋の荀吳狄を伐つ、車をおいて行をなす、此れ則ち騎多きを便たよりとなす、唯だ奇勝を務め、拒禦を非とするのみ。臣其術を均うするに、凡そ一馬は三人に當る、車步之れに稱へり、混じて一法となす、之れを用ふること人にあり、敵いづくんぞ吾車果していづくより出で騎果していづくより來り徒果して何くにるを知らんや。或は九地に潛み或は九天に動く、其知神の如し、唯だ陛下これあり、臣何ぞ以て之れを知るに足らんや。」

 太宗曰く「太公の書に曰く、地方六百步、或は六十步、十二辰を表すと、其術如何。」靖曰く「地を畫すること方一千二百步、開方の形なり。部每に地を占むること二百二十步の方なり。橫に五步を以し一人を立て、たてに四步を以て一人を立つ、凡そ二千五百人、五方に分かつ、空地四