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「天の人を生ずる本と蕃漢の別なし、然れども地遠くして荒漠なれば必ず射獵を以て生ず、是れに由つて常に戰鬪に習ふ。若し我恩信もて之れを撫し衣食之れをあまねくせば則ち皆漢人なり。陛下此の都護を置かば臣請ふ漢の戍卒を收め之れを內地に處らしめ、糧饋を減省せん、兵家の所謂力を治むるの法なり。請ふ漢吏の蕃情に熟するある者を擇んで、散じて堡障を守らしめん、此れ以て久しきを經るに足らん。或は警あるに遇はば則ち漢卒出でん。」太宗曰く「孫子言ふ所の力を治むるとは如何。」靖曰く「近を以て遠を待ち、佚を以て勞を待ち、飽を以て飢を待つ、此れ略ぼそのがいをいふのみ、善く兵を用ふる者は此の三義を推してむつあり。誘を以て來を待ち、靜を以て躁を待ち、重を以て輕を待ち、嚴を以て懈を待ち、治を以て亂を待ち、守を以て攻を待つ、是れに反せば則ち力およばざるあり、力を治むるの術に非ずんばいづくんぞ能く兵に臨まんや。」太宗曰く「今人孫子に習ふ者但だ空文を誦し、く其義を推廣するすくなし、力を治むるの法、宜しく徧ねく諸將に吿ぐべし。」

 太宗曰く、「舊將老卒凋零して殆んどく、諸軍新たに置く、陣敵を經ず、今敎ふるに何の道を以て要とせんか。」靖曰く「臣常に士に敎ふるに分ちて三等となす。必ず先づ伍法を結ぶ、伍法旣に成りて之れに軍校を授く、此れ一等なり。軍校の法一を以て十となし、十を以て百となす此れ