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後の患を爲さん、故に李勣を遣り之を討たしむ。今北荒悉く平ぐ、然るに諸部番漢雜處す、何の道を以て久しきを經て兩全を得しめて之れを安んぜん。」靖曰く「陛下勅して突厥より囘紇の部落に至り、凡そ驛を置くこと六十六處以て斥堠を通ず、斯れ旣に策を得たり。然るに臣愚謂へらく、漢戍は宜しくみづから一法と爲すべし、番落は宜しくみづから一法となすべし、敎へ習はすこと各異にして混同せしむること勿れ。或はあだ至ることあらば則ち密かに主將に勅し、時に臨み號を變じ服をへ奇を出して之れを擊て。」太宗曰く「何の道ぞ。」靖曰く「此れ所謂多方以て之れを誤まるの術なり、蕃にして之れに漢を示し、漢にして之れに蕃を示す、彼れ蕃漢の別を知らず、則ち能く我が攻守の計を測ることなし。善く兵を用ふる者先づ測るべからざるを爲せば則ち敵其のく所にそむくなり。」太宗曰く「正に朕の意に合へり、卿密かに邊將に敎へ、只だ此の蕃漢を以て便すなはち奇兵の法を見せしむべし。」靖再拜して曰く、「聖慮天縱一を聞いて十を知る、臣いづくんぞ能く其の說を極めんや。」

 太宗曰く「諸葛亮の言に、有制の兵、無能の將は敗るべからず、無制の兵有能の將は勝つべからずと、朕疑ふ、此の談極致の論にあらずと。」靖曰く「武侯激する所有りて言ふのみ。臣孫子を按ずるに曰へることあり、敎道明かならず、吏卒常なく、陣兵縱橫なるを亂といふ、古より軍を