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ぶ所は太公の六韜三略是れなり、韓信が學ぶ所は穰苴、孫武是れなり、然れども大體三門四種を出でざるのみ。」太宗曰く「何をか三門と謂ふ。」靖曰く「臣按ずるに太公望八十一篇は所謂陰謀、言を以てきはむべからず。太公が言七十一篇は、兵を以てきはむべからず。太公が兵八十五篇は、財を以て窮むべからず。此れ三門なり。」太宗曰く「何をか四種といふ。」靖曰く「漢任宏が論ずる所是れなり。凡そ兵家者流、權謀を一種となし、形勢を一種となし、及び陰陽技巧の二種、此れ四種なり。」太宗曰く「司馬法はじめ蒐狩しふしゆついでるは何ぞや。」靖曰く「其時にしたがつて之れを要するに神を以てす、其事を重ずるなり。周禮、最も大政となす。成は岐陽の蒐あり、康は酆宮の朝あり、ぼくは塗山の會あり、此れ天子の事なり。周の衰ふるに及び齊桓に召陵の師あり、晋文に踐土の盟あり、此れ諸侯、天子の事を奉じ行ふなり、其實は九伐の法を用ひ、以て不恪を威す、之れを假るに朝會を以てし、之れに因るに巡狩を以てし、之れにるるに甲兵を以てす、言ふこゝろは事無きには兵妄りに擧げず、必らず農𨻶に於てす、武備を忘れざるなり、故にはじめに蒐狩をついづ、それ深からずや。」太宗曰く「春秋に楚子二廣の法に曰く、百官物にかたどりて動く、軍政戒めずして備はる、これ亦た周の制を得たるか。」靖曰く「左氏の說を按ずるに、楚子乘廣三十乘、廣さ一卒あり、卒偏の兩軍行くに轅を右にし、轅を以て法となす、故に轅を揷んで戰ふ、皆周制なり。臣