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表裏なり、文と武とは左右なり。古は賢王民の德を明かにして民の善を盡す、故に廢德なく簡民なし、賞る所なく罰試むる所なし。有虞氏いうぐしは賞せず罰せず、而して民用ふべし、至德なり。夏は賞して罰せず、至敎なり。殷は罰して賞せず、至威なり。周は賞罰を以てす、德衰ふるなり。賞時を踰えざれば民速かに善を爲すの利を得んことを欲す。罰列に遷らざれば民速かに不善を爲すの害をんことを欲す。大に捷つ時賞せずば上下皆な善にほこらず、上苟も善にほこらずば則ち驕らず、下苟も善にほこらずば必ず等しきし、上下善にほこらず、此の若きは讓の至なり。大いにやぶるゝ時誅せざるは、上下皆不善己に在るを以てなり。上苟も不善己れに在るを以て必ず其過を悔い、下苟も不善己に在るを以て必ず其罪に遠ざかる、上下惡を分かつ此のごときは讓の至りなり。古は戍兵まもりのへい三年興さず、民の勞をるなり、上下相報ゆる此のごときは和の至りなり。意を得るときは則ち愷歌がいかするはよろこびを示すなり、伯を靈臺に偃するは、民の勞に答へて、休を示すなり。


定爵第三

 凡そ戰は、爵位を定め、功罪を著はし、遊士ををさめ、敎詔をべ、の衆をとむらひ、の技を求め、おもんぱかりたくらべ、物を極め、嫌を變じ、疑を推し、力を養ひ、巧を求め、心の動くに由る。凡