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まねし、其利を見てはいつはつて知らざるまねす、此の如き將は名づけて智將となす、與に戰ふ勿れ。若し其衆讙譁、旌旗煩亂、其卒自から行き自から止まり、其兵或は縱或は橫、其ぐるを追ふこと及ばざるを恐れ、利を見て得ざるを恐る、此れを愚將と爲す、衆と雖もべし。」


應變第五

 武侯問うて曰く、「車堅く馬良く將勇に兵强きも、にはかに敵人に遇うて亂れて行を失ふときは則ち之れを如何。」起對へて曰く、「凡そ戰の法、晝は旌旗旛麾を以て節と爲し、夜は金鼓笳笛を以て節となす、左を麾けば左し、右を麾けば右す、之を鼓うてば則ち進み、之を金うてば則ち止まり、一たび吹いて行き、再び吹いて聚まる、令に從はざる者は誅す、三軍威に服す。士卒命を用ふれば則ち戰に强敵なく攻むるに堅陣なし。」

 武侯問うて曰く、「若し敵おほく我すくなくば之れを爲す奈何。」起對へて曰く、「之を易きに避け之を阨にむかふ。故に曰く一を以て十を擊つは阨より善きはなし、十を以て百を擊つは險より善きはなし、千を以て萬を擊つは阻より善きはなし。今少卒あり、にはかに起つて金を擊ち鼓を鳴らし阨路に於てせば、大衆ありと雖も驚き動かざるなし。故に曰く衆を用ふる者は易に務む、少を用ふる