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るなり。故に三軍の事は間より密なるはなし、聖智せいちにあらずんば間を用ふる能はず、仁義にあらずんば間を使ふ能はず、微妙にあらずんば間の實を得る能はず。微なる哉、微なる哉、間を用ひざる所なきなり。間の事、未だ發せずして先づ聞く者は、間と吿ぐる所の者とみなころす。

 凡そ軍の擊たんと欲する所、城の攻めんと欲する所、人の殺さんと欲する所、必ず先づ其の守將、左右、謁者えつしや、門者、舍人の姓名を知り、吾が間をして必ずもとめて之れを知らしめ、必ずてきの間來つて我をかんする者をもとめしめ、因つて之れを利し、導いて之れをく、故に反間はんかんて用ふべきなり。是に因て之れを知る、故に鄕間きやうかん內間ないかんて使ふべきなり。これよつて之れを知る、故に死間は誑事きやうじを爲して敵に吿げしむべし。是によつて之れを知る、故に生間せいかんは期の如くならしむべし。五間の事、主必ず之れを知る、之れを知ること必ず反間にあり。故に反間は厚うせざるべからざるなり。昔、いんの興るや伊摯いしにあり、周の興るや呂牙ろがいんにあり、故に明君賢將は、能く上智を以て間者となし、必ず大功を成す。此れ兵の要、三軍のたのんで動く所なり。


孫子