て問ふ、敵衆整ひ將に來らんとす、之れを待つこと若何。曰く先づ其の愛する所を奪ふときは則ち聽、兵の情は、速を主とす。人の及ばざるに乘じ不虞の道に由り、其の戒めざる所を攻む。凡そ客たるの道は深く入つて專らならば主人克たず。饒野を掠むるの三軍は食を足らしめ養を謹んで勞する勿れ、氣を併せ力を積んで兵の計謀を運らし、測るべからざるを爲して之れを往く所なきに投ぜば死すとも且つ北げず、死、焉んぞ得ざらん、士人力を盡し兵士甚しく陷らば則ち懼れず、往く所なければ則ち固し、入ること深ければ則ち拘なり、已むことを得ざれば則ち鬪ふ。是故に其の兵修めずして戒め、求めずして得、約せずして親み、令せずして信あり、祥を禁じ疑を去り死に至るまで之く所なし。吾が士餘財無きは貨を惡むに非ざるなり、餘命なきは壽を惡むに非ざるなり。令發するの日、士卒坐する者は涕襟を霑し、偃臥する者は涕頤に交はる、之れを往く所なきに投ずるは諸劌の勇なり。故に善く兵を用ふる者は譬へば率然の如し、率然とは常山の蛇なり、其の首を擊てば則ち尾至り、其の尾を擊てば卽ち首至り、其中を擊てば則ち首尾俱に至る。
敢て問ふ率然の如くならしむべき乎。曰く可なり、夫れ吳人と越人と相惡むや、其の舟を同うして濟るに、風に遇はゞ、其の相救ふや左右の手の如し。是故に馬を方ベ輪を埋むとも未だ恃む