Page:Arai hakuseki zenshu 4.djvu/825

提供: Wikisource
ナビゲーションに移動 検索に移動
このページは校正済みです


して、コースタンチイの地に移り居れり、〈今トルカの國都、すなはち其地なり、〉これより此かた、ヱウロバ地方の國君宰臣を始て、人非人等に至るまで、悉く皆此法を尊信せずといふものなく、凡ローマンの地、四面皆石を疊みて基となし、其圍十八里、そのエツキレイジヤ始て建しより、此地いまだ火災ある事なく、世々に金銀珠玉をもて莊嚴せし事、天下の寺觀比すべき所にあらずして、こゝに聚り居るもの凡七十餘萬人、〈其地、八つの山ありといふ、ヲヽランド人の說には、ローマの周圍二十四里許、その地勢險にして、七山秀起り、樓閣殿堂、金碧相映じ、いふばかりなき壯觀也、其徒を除く他は、多くは工匠其巧妙天下双なし、諸國の工、また來り學ぶもの多しといふ、〉初め、シルウエステル此地を開きしより、今のキレイメンスに至るまで、二百四十餘世、凡一千三百八十餘年、其敎化之主、相繼でこれを稱して、パアパといひ、またこれをホンテへキスマキスイムスといふ、〈ヲヽランド人は、その本主をパウスといふ、パアパの轉語なる歟、按ずるに、今の本主はシルウエステルより二百四十餘世といひ、又十二世ともいふ、これホンテへキスマキスイムスの號ありてよりは、十二世なるの義歟、〉其徒をの位號あり、其上等は、スムテホンテへキス、すなはちこれ敎化之主也、其次はカルデナアリス、此位にあるもの七十二人、〈これヱイズス七十二弟子に準ず、そのパアパの席をつぐものには、七十二人の中を撰びて、をの其名を紙にしるし、これを封じ、ヱイズスの像前にてひらき見て、其名しるせし數、多きをもて、其人とすといふ、〉其次は、エピイスコプス、其次は、サチエルドス、其次は、リヤアコノス、其次は、スプテアヽコノス、其次は、エキソルチイスタ、其次は、アコーリトス、其次は、ヲステアーウス、其次は、レキトラトス、これより以下、其職掌の名號猶多し、そのエピイスコプスより以下、其數皆定まれる事はあらず、パアテレ、〈漢にはパアレと譯す、我俗にパテレンとも、バテレンともいふは、これなり、〉イルマンなどいふは、其位號にはあらず、ヱウロパのことばに、父を、パアテレといひ、母を、マアテレといひ、兄弟を、イルマンといふ、されば我たつとぶものは、パアテレともいひ、我したしきものをば、イルマンともいふ也、此土のむかし、この敎の師友を稱して、パアテレ、イルマン等の稱ありしは此義也、凡そ一世界の內にして、をの其たつとぶ所の敎法あり、其宗をわかつに、三つに過ず、一つには、キリステヤン、〈これヱイズスの法也、我俗に、キリシタンといふは、ポルトガルの語、〉二つには、ヘイデン、またこれをゼンテイラといふ、〈この法を問ひしに、此宗には、佛を多く立てゝ、それにつかふる也といひて、其敎とするところは、つまびらかならず、〉三つに、マアゴメタン〈これ漢に囘囘敎といふものをいふ也、〉ヱウロパ地方にして奉ずるところは、皆是キリステヤンにして、またをの其宗派あり、我うけ傳へし所は、カトーリクスの派也、そのキリステヤンより出て、別に一法をた