Page:Arai hakuseki zenshu 4.djvu/824

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〈名也といふ、漢譯未詳、〉ジユデヨラの君セイザル、これをにくみて、其罪を斷りて、カルワーリエにおゐて、磔し殺す、〈カルワーリエは、山の名、イタリヤの語には、カルワリコといふといふ、共に、漢譯未詳、番語、磔をクルスにかけしといふ、クルスは、漢に翻して十字架といふもの也、また黃金を以て、其像を造りしを、イマゼンといふあり、これヱイズスとらわれゆく時に、まろびしを、女人の帨巾にて、この面を拭ひしに、其面の形、帨巾にうつりしに始れりといふ、又エイズスが像を見しに、銅像の十字架上に磔殺せられし所也、〉死して後、三日にして蘇生し、其母マリヤにみえて、弟子のために法を說く事、また四十日、終に上天しつ、これデウス、初の誓約のごとく、人と生れて、アダン、ヱワ、がために、其罪を贖ふ所也、いく程なくして、ジユデヨラの君、其敵アルテウスの爲に滅び、國中の人民城郭、ことく火のためにやかれて、すなはち今トルカの地に、其荒墟のみ遺れるあり、〈カルテウスは、或は地名、或は人名、詳ならず、漢譯も亦未詳〉ヱイズス上天の時、其年三十三、其母マリヤは、六十三歲にして上天せり、〈此徒の念珠、コンダツといふ、珠の數三十三なるは、ヱイズスが年の數に取り、六十三なるは、マリアが年の數に取る所といふ、〉ヱイズスが弟子七十二人、その中十二の上足あり、サントスペートルス、サントスパウルス二人〈十二人の中なりといふ、〉ヱルーザレンをさりて、イタリヤの地、ローマンに來れり、これらもまた其君セーザル、アウグストスがために殺さる、其後三百廿餘年にして、ローマンの君コースタンチイノス、癩疾を患ふ、衆醫みな多くの小兒を殺して、其血に浴せむ事を請ふ、其君、身の疾のために、人を殺すに忍びずといひて、其言を用給ず、此夜二神人を夢見しに、シルウエステルといふ師、ツラツテにあり、かれに就てまみえは、汝の疾癒べしと吿ぐ、其君みづから其人を求るに、夢に見し所の二神人の像、彼師の所にあり、これすなはちぺートロス、パウルス也、初ぺートロス、ローマンのためにころされしより此かた、其法をうけつぎしもの三十二世、ことく皆國誅をまぬかれず、三十四世にして、シルウエステルに至る、其君の請ふによりて、聖水をもて其頂に灌ぐに其疾たち所に癒ぬ、〈其徒受戒の時、必らず授水の儀軌あり、これヱイズス殺されし時の血をもて、一切の罪惡を秡除するの義也といふ、たゞし、其事佛氏灌頂の法に相同じき歟、ツラツテといふは、シルウエステル隱れ居し山の名といふ、〉其君大きに悅びて、やがて其居を避けて、みづから鍬とりて、十二フンダメントをすべて、サントス、ぺートルス、エツケレイジヤを建つ、〈フンダメントは、こゝにいふ礎也、サントスぺートルスエツケレイジヤといふは、こゝに精舍の名あるが如し、番語、テンプルスといふは、こゝに寺といふが如し、イタリヤの語には、カイルキケと云也といふ、〉またローマン、シスチイリヤ、ネアポリス、ノウルピイナ、ボノーニヤ、ペラアラ、スタアトスホンテヒイチウス等の地を施入し、〈七つの地名、漢譯未詳〉、國を去る事數百里に