Page:Arai hakuseki zenshu 4.djvu/826

提供: Wikisource
ナビゲーションに移動 検索に移動
このページは校正済みです


つるものを、すべてヱレゼスといふ、〈これその敎の異端なりといふ、〉ルテールス、アルリヨ、カルピノ、マニケヲ、の類、皆是ヱレゼスとす、ヲヽランデヤに奉ずる所は、ルテールスすなはちこれ也、〈ルテールスは、人の名也、ポルトガルの語には、ルテロといふ、もとこれキリステヤンにして、後におのれが宗をたつ、ヲヽランド人の說を聞くに、たとへば、祖師禪あるがごとく、其敎外の宗と見えたり、〉アジア地方に行はるゝ所、モゴルの敎といふものゝごとき、これを稱してマアゴメタンとす、〈アフリカ地方、トルカのたつとぶ所も、マアゴメタンなりといふ、按ずるに、ヱウロパ地方、ムスコービア、其俗モゴルのごとしといへば、これもマアゴメタンなるや否や、其說は聞かず、〉又此外、チイナにして尊信する所のごときは、其學稱してコンフウシヨスといひ、〈これ儒者自然之學也といふ、彼敎には、天地萬物、みづから成る事なし、皆これデウス造れる所也といふ、しかるに儒には、大極、兩儀を生ず、大極すなはち理也などいふを、しかはあらずといふなり、〉其徒を稱して、アデイエスといふ、〈これ儒者の事也、〉これ此土におゐて、周孔の道といふもの卽此也といふ、

按ずるに、西人其法を說く所、荒誕淺陋、辦ずるにもたらず、しかりといヘども、其甚しきものゝごときは、また辦ぜざる事を得べからず、まづ、其番語稱して、デウスといふもの、漢に翻してテンチウとす、これ彼此聲音相近きにとれる事、たとへば、ヱイズス譯してセースとするがごとし、番字もと讀むべからず、漢字を假りて、其聲音をうつせるのみ、其義番語にありて、漢字にあるにはあらず、然るに明季の諸儒、利瑪竇初に天主の字を借り用ひて、其番語を譯し、つゐに其說を附會して、經にいはゆる上帝これ也とす、諸儒其說にまどひて、其非を覺らず、もしデウス譯して天主といふ、すなはちこれ天の主宰、經にいはゆる上帝なるべくば、ヱイズス譯して耶蘇といふ、耶蘇また何の義かあるべき、〈此事、我國にして、日神の御事を、漢字を得るに及び、ヲホヒルメノムチとしるされしによりて、大日如來これ也といふ說のごとし、〉經に所謂上帝の說のごときは善く書を讀むものゝ、自ら知れる所なれば、今此に論ずる事を待たず、もし天主敎法の字、梵典に出し所といはむには、我もとより知れる所にあらず、〈天主敎法の字は、最勝王經に出づ、〉今西人の說をきくに、番語デウスといふは、此に能造之主といふがごとく、たゞ其天地萬物を剏造れるものをさしいふ也、天地萬物自ら成る事なし、必ずこれを造れるものありといふ說のごとき、もし其說のごとくならむには、デウス、また何ものゝ造るによりて、天地いまだあらざる時には生れぬらむ、デウス、もしよく自ら生れたらむには、などか天地もまた自ら成らざらむ、又天地いまだ成らざる時、まづ善人のた