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Page:Arai hakuseki zenshu 4.djvu/816

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その本國に散じ還して、其法を說かしむ、これ其說の俚耳に入やすからむ事をはかるが故也といふ、我國のむかし、其敎の師たるものも、半は彼國の學に就きし輩なりき、さらば利子がごときも、香山に近き國に生れて、其人頴悟、西に去りて、彼學に就き、つゐに中土に入て、始に其敎を倡ふ、縉紳諸生、そのために惑されて、大西の人、此方の聲音に通じ、よく三敎の書を讀み、其說吾儒と合ふ所ありとす、かれもと東土の人に係りぬれば、大西の人、みな其人をしらざりしも、また怪しむにたらず、

彼方戰國の事を聞て、其兵いづれか最强きと問ふに、陸戰はトルカに敵するものあらず、水戰は古にはフランスヤの兵を稱す、其後は、アンゲルアに敵するものあらず、今に至ては、ヲヽランデヤを其最とす、アンゲルアもまたこれに次ぐ、其戰船、高く大きなる事山嶽のごとくにして、其船旁に、窓を設くる事三層にして、每層に八九あり、各窓大砲を架して、敵船の大小高下遠近に隨ひ、其砲を發す、其遠きに及び、堅きを破る事、ヲヽランデヤの制にしくものあらず、我むかしフランスヤにゆきて、近海の所、民物豐富の地を見たりき、こゝに來らむとして、其所をすぎしに、ことく皆赤地となりて、生草をだにも見ず、其事を問ふに、ヲヽランド人の大砲のために陷りて、方數里の地、忽にかくなりしといひしといふ、

ヲヽランド人に、其大砲の制を問ふに、スランガといふは、鐵彈の重さ八斤、カノンといふは、鐵彈重さ四十斤、半里の外に至る、〈我國の里數をもてはかる也〉其たけ短かければ、遠きに及ばず、ボンといふは、鐵彈の圍み、合抱、其中を虛にして、火藥を實て、空にむかひて發つ、地に墜る時に、彈、碎けて火發し、土に入る事五六尺許、方里許は、ことくに灰塵となる、此器最遠きにおよぶといふ

彼方、火器の始をとふに、ジユデヨラのトウツパルカインの人、始め作れり、其地ダマスクスといふ所に相近しスコルペイトウムの始は、今をさる事すでに二千餘年也といふ、〈ジユデヨラ、またユデヨラといふが如し、漢に如德亞と譯せしこと卽此也トウツパルカイン、ダマスクス、皆地名、漢譯不詳、スコルペイトウムは、こゝにいふ銃なり、〉

ヲヽランド人に、銃砲等の始をとふに、其始をばし