Page:Arai hakuseki zenshu 4.djvu/813

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も、また我此行ある事は、道のため、國のため、其幸これに過ずと、悅びあへり、されど、此體擧りて、父母兄弟の身をわかたずといふ所あらず、いきて此身のあらむほど、いかでかこれをわするゝ事はあるべきといふ

我國の風俗語言は、いかなる人に就て、訪ひ學びしにやと問ふに、其懷にせし二小册子を取出て、これら此土の事を記せし所也、またロクソンに至りとゞまれる時に、此國の人にあひて、訪ひ學びし事どももありきといふ、其小册子の名、一つをば、ヒイタサントールムといふ、これ我國の事を記せし所也、一つをば、デキシヨナアリヨムといふ、これ我國のことばをしるして、彼方の語を以て翻譯せし所也、〈二册子共に、長さ五寸許、廣さ四寸許、こゝに、やまととぢといふものゝごとくにして、其厚さをの一寸には餘れり、我國の事を記せしといふ物には、繪かきしものを、さしはさみてありき〉ロソンにて、我國の人にあひしとは、もとよりかしこにありし我國人の子孫、すでに多く、また三年前に我國人の風に放されて、かしこに至りし十四人有しにあひて、此土の事ども、たづねとひしといふ、

其行囊の中に、ある所の黃金三品、彈のごとくなるあり錠のごとくなるあり、我國元祿年製の錠あり、〈こゝにいふ小粒判、〉また我國の新錢のあるあり、此等は、何れの方にて、もとめ得しところなるにやと問ふに、凡そ羈旅の人、行資なくしてかなふまじきは、いふに及ばず、初ローマンを去りし時、スクウタアルセンテヤといふ銀をもち出しを、カアデイキスといひし所にて、イスパニヤの銀に換得て、又それを、マルバルに至りし時に、ホンテチリといひし所にて、其國の銀に換得たりき、これは其地方によりて、各其國の寶貨の形製同じからず、其地方に行はるゝ物にあらざれば、用ふべからざるが故也、〈スクウタは、其銀の形の名也、アルセンテヤとは、銀といふ事の番語也、カアデイキスは、イスパニヤの地名也、マルバルは、インデヤの地名、ゴアの南にあり、ホンテチリは、マルバルの街坊の名、人物繁盛の地なりといふ、〉ロクソンに至りて、また黃金に換たり、これ此土には、黃金を重貨とするが故也、彈のごとく錠のごとくなるもの、すなはち此也、此土の金錢は、三年の前に、ロクソンに到りし人のもちし所に、換來れる所也といふ、

其法衣の名を問ふに、ルリヂヨと答ふ、これを製れる所の布は、我國の產也、いづれの方にて、求得しにやと問ふに、これもマルバルのホンテチリにて買得て、ロクソンに至て、法衣とはなしぬといふ、〈其法衣、ポルトガルの語には、カツパといふ、昔我俗其製に倣ひ、雨衣を作れり、今其製を見るに、今俗にマルガツパといふ物のごとくにして、くびかみの所、少しく異也、〉