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西洋紀聞下卷


大西人に問ふに、其姓名鄕國父母等の事を以てす、其人答て、我名はヨワン、バツテイスタシローテ、ローマンのパライルモ人也、〈すべて其語を聞くに、聲音うつし得べからず、其名を稱するごときも、ヨワンといひ、ヲアンといひギヨアンといふがごとし、其近く似たるをしるす也、餘皆これに倣ふ、そのヨワンといふは、ラテンの語也、ポルトガルの語は、ジヨアンといひ、ヲヽランドの語には、ヨヤンといふといふ、パライルモは、ローマンに隸する地名也といふ〉父はヨワンニ、シローテ、死して既に十一年、母は、エレヨノフラ、猶今ながらへて世にあらんには、是年六十五歲也、〈父の名と、其名と、相似て、たゞニといひ、バツテイスタといふのみ同じからず、此事を問ふに、昔エイズスの大弟子十二人の中に、ヨワンニスといふありき、凡そキリステヤンをの其法をうけつぎし祖師の名を、みずからの名に加稱す、ニといひ、バツテイスタといふ、皆名也、シローテといふは、姓也といふ〉兄弟四人、長は女也、幼にして死す次は兄也、ピリプスといふ、次は我、是年四十一歲、次に弟あり、十一歲にして死して、既に廿年、我幼よりして、天主の法をうけ、學に從ふこと廿二年、師とせしもの十六人、〈彼方の學、其科多し、師十六人といふ事は、其學科につきて、をの師ありしといふ、〉ローマンにありて、サチエルドスに至り、六年前に、一國の薦擧によりて、メツシヨナヽリウスになされたりき、〈サチエルドスは、彼方敎化の主よりして、第四等の號、メツシヨナヽリウスは彼方弘法グハフの事のために、使たるものを、稱する所なりといふ〉初本師の命をうけて、此土に來るべき事を、奉りしよりして、此土の風俗を訪ひ、言語を學ぶこと三年、またトーマステトルノンといひしもの、これも師命をうけて、ヘツケンにゆくべし、三年の前、二人、をのカレイ一隻づゝに乘りつれ、ヤネワを歷て、カナアリヤに至り、こゝにてまたフランスヤの海舶一隻づゝに乘りて、つゐにロクソンに至れり、これよりして、トーマステトルノンは、ペツケンにおもむき、我は此土におもむく、海上忽に風逆し、浪あらくして、船覆らむとせし事、三たびに及びしのち、はじめて此土に至る事を得しといふ、〈トーマステトルノンは、同門の人の名也、ペツケンは、すなはち大淸の北京也、ヲヽランド人は、ペツキンといふ也、カレイは小舟をいふ、ヤネワ、カナアリヤ、共に西洋海島の名也〉

男子其國命をうけて、萬里の行あり、身を顧ざらむ事はいふに及ばず、されど、汝の母すでに年老ひて、汝の兄も、また年すでに壯なるべからず、汝の心におゐて、いかにやおもふと問ふに、しばらく答ふる事もなくて、其色うれへて、身を撫していふ、初、一國の薦擧によりて、師命をうけしより、いかにもして、其命を此土に達せむ事をおもふの外、又他なく、老母老兄