Page:Arai hakuseki zenshu 4.djvu/807

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り、阿蘭陀鏤板の圖に據りて、阿蘭陀人の說をきくに、ヱソ〈ヱソ、漢に譯してエソといふ、我國にて、蝦夷といふもの卽此、〉の此地、タルターリヤに相聯れるや、否、いまだ詳ならず、本國鏤板の國には、エソ東南海口の地のみを圖して、此海口に至て、こゝにいふ所のマスに似たる魚、多く食ひし事を、注したりといふ、〈こゝとは、卽我國をいふ、マスに似たる魚とは、こゝにいふ鮭魚の事をいふなるべし、〉またヲヽランド人に問ふに、ヲヽランド地方より此に來るには、其北海より去りて西し、アフリカの西を經て、カアプ地方に至て、東に折れ、アジア南海を過て、ジヤガタラに至り、こゝよりまた北して、スマアタラ、ボルネヲ等の諸島を過て、東北の方、我國に至る、其行程をはかるに、凡一萬二千九百里に及ぶといふ、〈これまた我國の里數による也、〉もしヲヽランド地方より、北に去りて、東に轉じ、北海を經過て東し、〈北海は、すなはちタルターリヤ、マーリヤといふもの、韃靼海の事をさしいふ也、〉南に轉じて、此に來らば、行程わづかに三四千里に過べからず、なにを苦しみてか、此路にはよらざるやといひしに、其人のいはく、誠に然也、今より三年の前に、アンゲルア人、ウエールムダンベイルといふものありて、身みづから北海を越て、東洋に到りしといふ、我方の人、其事を難じて、天地の北日光到らず、海常に暗く、潮甚急也、そのいふ所信ずべからずといふ、彼人これを憤て、書作りて世に行わんとす、もし其書成りて、其言信ずべくは、本國の幸、これに過べからずといひき、〈これ正德二年壬辰の事也、〉其後また此事を問ひしに、去年、彼人死して、書もまたいまだ成らぎりきといふ、〈これ正德四年甲午の事也〉これらの說に據るに、萬國坤興國に見えし所、盡くに信ずべからず、

ノヲルト、アメリカ諸國、

ノーワ、イスパニヤ、〈漢に、新伊西把爾亞と翻譯す、我國の俗にノヲバイスパニヤ、またはノビスパンヤといひし此也〉ノヲルトアメリカの南地にあり、こゝを過て南する時は、すなはちソイデアメリカの地也、イスパニヤ人倂せ得て、新たに國を開きし所也、其海口アカプールコといふ地、番舶輻湊、人民富饒之地也といふ、

按ずるに、本朝慶長十五年、此國の舶、逆風に放されて、我國に漂來る、其舶を修め整へしめて、還さる、同十七年の夏、其國入聘して、恩を謝す、此年、我國の商舶も、かしこにゆく、今はすなはち絕たり、