Page:Arai hakuseki zenshu 4.djvu/806

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ロクソン〈ロソンともいふ、漢にリユイソムと譯す、我俗には、ルスンといふ、ヲヽランド人、またルコーニヤともいふ、〉チイナのカンタンの南海にあり、〈チイナは、支那也、カンタンは、廣東也、〉其國の南土をば、マテヤといひ、またマネラともいふ、〈マネラ、我俗マンエイラといふ、漢にマアニイルヤと譯す、〉古の時、其主あり、近世以來、イスパニヤ人倂せ得て、其人をして、國事を治めしむ、其西南の地に、銀を產する山あり、イスパニヤ人、これを採らしむ、チイナ人來り採るもの拾貳萬許、またヤアパンニヤ東南海中に、金銀を產する島あり、〈ヤアパンニヤは日本なり、東南海中の島名、いまだ詳ならず、〉、またヤアパンジス〈すなはち日本人也〉の子孫、此國にあるもの、すでに三千餘人、集り居て、聚落をなす、其人、本國の俗を變ぜず、士人は、双刀を腰にし、出る時は、槍を執らしむ、其餘も皆一刀を帶ざるはなし、イスパニヤ人これを御するに法ありて、妄に國中に出行く事を聽さず、前四年、ヤアバンジス、風に放されてこゝに至れるもの十二人、イスパニヤ人彼聚落に就て、居らしむ、此國の北は、すなはちフルモーザなり〈タカサゴの事也、卽今の臺灣、〉もとヲヽランド人に據りし所、今はチイナに屬すといふ、

按、慶長年間しきりに我國に聘せしルスン國といふは、みなこれイスパニヤ人のかしこにありしものの使也、

ノーワヲヽランデヤ、海南にあり、其地極めて濶し、今はヲヽランド人倂せ得たり、これによりて、ノーワヲヽランデヤと名づくといふ、

此地の事ヲヽランド人にとひしに、此地ジヤガタラより南にさる事四百里許、〈これ我國の里數によりていふ所也、〉本國の人、はじめてこゝに至る事を得たり、其土極めて濶し、其人禽獸のごとくにして、言語通ぜず、地氣甚熱くして、こゝに至れるものども、病ひし死して、生殘るものわづかになりて、歸る事を得たりノーワヲヽランデヤと名付し事は、其地を倂せ得たるの義にはあらず、本國の人、新たにもとめ得し所なるが故也といふ、〈此事詳なる事は、阿蘭陀の事しるせしものに見ゆれば略す、〉

按ずるに、其人の言に、チイナといふは、卽支那也、タルターリヤといふは、卽韃靼也、ヤアバンニヤといふは、卽日本也、此等地方の事、其經歷せし所に係らざれは、其說のしるすべき事もなし、萬國坤輿圖に據るに、韃靼の東方、海に至るまでの地を圖して、狗國、室韋、野作等の國、其地にありと見えた