Page:Arai hakuseki zenshu 4.djvu/805

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〈たり、〉アジア地方、南海の中にあり、わづかにその東北海を隔て、すなはちマロカの地也、此國、直に赤道の下にあたれり、春秋の二分には、日影を見ず、春分より、秋分に至て、日影南にあり、秋分より春分に至て、日影北にあり、氣候極めて熱く、たゞ夏冬には、其熱甚しからず、人皆裸體にして、色黑く、俗また暹羅に似たり、其地黃金を產す、ヲヽランド人、これをとるといふ、

ジヤガタラ、〈漢にキヤウラパ、またキヤウリウパキヤウリウパ等いふ、卽此なり、〉スマアタラ東南海中にあり、此國すべてジヤワといふ、〈漢に譯して、古はチエボヲといひ、今は、チヤウワアといふ、〉ジヤガタラは、ヲヽランド人據る所の地名にて、其治城は、バタアビヤにあり、〈漢譯未詳、圖書編、闇婆の下に、ボヲタあり、或は此歟、〉こゝより、南にさる事十四五日程、ジヤワに至る、卽是本國の主、都する所也、其主をば、ススーナムと稱す、其俗、髮をかうふり、薄き布に糊强くして、頂に纏ひ、袖窄き衣に、短き袴を着く、地方暖にして、殼一歲に再熟し、庶物また豐衍なり、これによりて、其人飢寒をしらず、性また懶なる事甚しジヤガタラ、もとポルトガル人のために據らる、前九十餘年、ヲヽランド人、これと戰ひて、つゐに其地をとる、〈本朝元和九年癸亥の事也、〉今ヲヽランドの治る所に、漢人の來り寓するもの、三四萬人に至るといふ、

按ずるに、慶長の比、ヲヽランド人、バンタンに往來の事聞ゆ、バンタンは、すなはちジヤワの地名、漢にバンタヌと譯する所也、亦今每歲こゝに來れるジヤガタラの人といふものは、其國人にはあらず、漢人のかしこに寓するものども也、

ボルネヲ〈ボルネヨ、またはボルーネル、漢にホエツニイまた、ボウルエツホヲと譯す、〉スマアタラの東、ジヤワの東北にある海島也、土俗スマアタラに同じ、其地水精、龍腦等を產すといふ、

マカサアル、〈漢譯未詳、これセレベスの南地の名也、セレベスは、漢に譯して、シツリツベスウといふ、〉ボルネヲ東南海中にあり、土俗スマアタラに同じ、黃金、檀木、等を產すといふ、

マカサアルの東北海中に、メンダナヲといふあり、〈メンダナヲ、漢にメヌタナウまたはミンタ〇と譯す、〉此餘、海島猶多し、皆これ西人の說きし所にあらずして、其事詳ならざれは、こゝにしるさず、