Page:Arai hakuseki zenshu 4.djvu/796

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アマカワ等の人といふは、〈五和は、ゴア也、天川は、アマカワをいふ也、〉、皆是此國の人、それらの所にありて、海舶の事を掌れるものゝ使也、慶長十八年の冬、番舶の耶蘇之徒を帶來る事を禁ぜられ〈これよりさき、慶長十四年、我國の人、アマカワにゆきて、貿易するもの三百人、此國人のために、ことく殺さる、明年其人こゝに來れるを、其舶と共に焚殺されし事ありき、〉寬永十六年に及びて、番舶の來る事を止めらる、同十七年五月、此國の賈舶來る其人を倂せて焚かる、正保四年六月、此國進貢の舶來れり、八月これを押還されき、〈ジヨセフが說によるに、はじめポルトガルの王妃は、イスパニヤの王の女也、ポルトガルの王、嗣なくして死して、其妃父母の國に歸る其妃はらめる事ありと聞えて、ポルトガルの臣民、追とゞめて國に還し納る、かくて、男子生れて、世をつぎ、廿一歲にして死す、また嗣なし、先王の弟の、ヱイズスの徒となりて、ローマにありしをむかへて、嗣とす、此人もとより娶らざれば、嗣子もなし、臣民相謀りて、先王の姪女を嗣とし、イスパニヤの王に請ふて、其國事を治めしむ、そのゝち、彼姪女、男子をうむ、其子成人の後、ヱイズスの法に歸して、國に當らむ事をねがはず、其子も、また父とひとしく、世をのがる、臣民皆勸め進むれどもきかず、つゐにローマの師徒、共にすゝむるに、デウス、汝の國を以て、汝の先王にあたへ給へり、しかるを、すてゝ治めざらむは、しかるべからずといふ、こゝにおゐて、やむ事を得ずして、國にアタれり、初イスパニアの王、此國を治めしより、こゝに至て六十年、ポルトガルの王の後、位にフクしぬ、これによりて、我國へも、先王の好を繼て、再び禮聘を修められし、今をさる事七十八九年前の事也、其王の名、ドンジユアン、クワルといふ也といふ、其事、卽正保四年六月、此國人のこゝに來れるをさしいふ也、〉貞享二年三月、此國の賈舶來れり、またこれを押還さる、此後は來る事絕たり、

亦按ずるに、彼方、天主之敎、我國に入りし事は、此國のはじめて通ぜし時に、フランシスクス、ザベイリウス〈漢に譯してフツライスツクチエといひし卽此也〉といふ師の、其舶に駕して、豐後國に來れるに始るといふ、卽是天文年間の事也、また彼敎、漢に入りし事も、大明神宗萬曆二十九年の春、大西洋利瑪寶が來りしに始れりと見えたり、其萬曆二十九年は、本朝慶長六年に當れり、さらば、彼敎の漢に入りし事は、我國に入りしよりは、相オクれたる事、六十年におよべり、

イスパニヤ〈ヲヽランドの語には、イスパンヤとも、スパンヤともいふ、俗に譯して、イスパニヤアとも、イスイパニヤアともいふ、卽此也、〉ポルトガル、フランスヤ等と、地を接て、其屬國十八あり、またソイデ、アメリカの地を倂せて、新たに國を開き、ノーワ、イスパニヤと號す、〈ノーワとは、此にいふアラタ也、餘皆これに倣ふ、我俗に、ノヲバイスパンヤといひしこれ也〉其後、また、アジア地方、ロクソンをも、倂せ得たりといふ、〈ノーワイスパニヤ、ロクソンの事等、下に詳なり、〉

按ずるに、慶長年間、此國始て來聘す、そのゝち、ロソンスインイスパニヤア等の商舶、來る事絕ず、これら皆、此國人の來れる也、番舶來る事を止められしに及びて、來らず、寬永元年の春、再び聘を修す、これを