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シリゾけらる、

カステイリヤ〈カステイラともいふ、漢に譯して、加西郞キヤスイランといふ、むかし、我國に聞えしカステアンといふこれ也、〉イスパニヤの東南にありて、共にこれ與國也といふ、

按ずるに、此國むかしより、我に通ぜし事聞えず、但し、我國に始て天主敎を弘めし、フランシスクス、サベイリウスといひしは、此國の人也といふ、

ガアリヤ〈またラテンの語に、フランガレキスとも、フランガレンギヨムともいふ、そのレキス、レンギヨムといふは、國といふがごとしといふ也、また、イタリヤの語には、フランスヤとも、フランガレイキともいひ、ヲヽランドの語には、フランスといふ、漢に譯して佛郞察フツランチヤツといふ、むかし我俗ガリヤンといひしは、ガアリヤの轉訛せし歟、〉ヱウロパ西海の上にありて、イターリヤ、イスパニヤ、ヲヽランデヤ等の地に相接す、またソイデ、アメリカの地を倂せ、新たに國を開きて、ノーワ、フランスヤと號すといふ、

按ずるに、此國の商舶、むかしはこゝに來れりといふ、其事いまだ詳ならず、或人の說に、大明の書に、佛郞機國フランキイコと見えしは、佛狼機フランキイとも、發郞機ハツランキイとも、〉ポルトガル也といふ、心得られず、漢に譯して、波爾杜瓦爾ホウルオワアル〈萬國坤輿圖に〉波羅多伽兒ホウロトヲキヤル〈武備志に〉蒲麗都家ブリトキヤ〈世法錄に、〉といふがごときは、すなはちポルトガル也、佛郞機は、フランガレイキ、フランガレキス等、を訛譯アヤマリヤクせしに似たり、〈フランガレイキ等を、佛郞機と譯せしは、ポルトガルを譯して蒲麗都家といひ、カステイリヤを譯して加西郞キヤスイランといふがごとし、〉亦按ずるに、西洋人、大明に通ぜし事は、武宗正德十二年佛郞機國の入貢を始とすと見えたり、其正德十二年は、本朝永正十四年に當りぬれば、番舶始て我國に來りし天文十年よりは前なる事、廿四年におよべり、

ゼルマア二ヤ、〈ヲヽランドの語には、ホーゴドイチとも、ドイチともいふ、漢に入爾馬泥亞ジユルマアニイヤアとも入耳馬泥亞ジユルマアニイヤアとも譯す、〉ヱウロパ地方の大國にて、國都をば、ビエンナ〈或ウエエンチナ〉といふ、此方諸國相推して、其君をインペラドールと稱す、これに屬せしホルトス七人あり、〈インペラドール、ホルトス、等の事、下に見ゆ、七人のホルトスといふは、たとへば、七諸侯などいふがごとしといふ、ヲヽランド人の說には、其君をばケイヅルと稱して、ホルトス九人ありといふ、孰是なる事を知らず、〉民物富庶にして、兵馬最强し、しかれども、兵を動かすに、たやすからず、ホルトス一人も議アワざれば、事決せざるが故也、また國北に近く、地寒くして、鹽硝を產ぜず、常に給る事をヲヽランド人に取るといふ、

ブランデブルコ〈フランデボルコともいふ、漢譯、いまだ詳ならず、〉ゼルマアニヤの東北、ホタラーニヤの西北にあり