時に、ひそかに其法をさづけしかども、國の大禁にそむくべしとも存ぜず、年を經しに、此ほど、彼國人の、我法のために身にかへり見ず、萬里にして、ここに來り、とらはれ居候を見て、我等、いくほどなき身を惜しみて、長く地獄に墮し候はん事のあさましさに、彼人に受戒して、其徒と罷成り候ひぬ、これらの事、申さざらむは、國恩にそむくに似て候へば、あらはし申す所也、いかにも、法にまかせて、其罪には行はるべしと申す、まづ二人をば、其所をかへて、わかち置かる、明年三月、ヲヽランド人の朝貢せし時、其通事して、ローマ人の、初申せし所にたがひて、ひそかに、かの夫婦のものに、戒さづけし罪を糾されて、獄中に繫がる、こゝに至て、其眞情敗露はれて、大音をあげて、のゝしりよばゝり、彼夫婦のものゝ名をよぴて、其信を固くして、死に至て志を變ずまじき由をすゝむる事、日夜に絕へず、此年來れるヲヽランド人申せしは、はじめ、北京におもむきしといふ、トーマス、テトルノンも、ほどなく其國に歸れりと聞ゆ、これは、初よりかしこにありし其國人に妬忌せられて、とゞまり居る事かなひがたくて、など承りぬ、と申しき、また、此人のこゝに來れる事、いかにやおもふと問ふに、されば、此事、我方の人も、心得ぬ事に申す也、或は、もし其罪を犯す事ありて、すでに死に當り候ひしを、いかにも其罪贖うべき事をおもひはかりて、此國に來らむ事を望みしかば、彼國の人も、もしかれが申すごとくに、申ひらく事もありなむには、何の幸かこれにすぐべき、又國法のごとくに殺されんには、もとよりの事也とおもひて、望請う所に任せてもや候らむと申しき、〈ヲヽランド人の說のごときも、さもあるべしや、某が思ふ所は、しかはあらず、彼國の議に、其法行はるべき時至りぬとおもふ所ありて、まず試にこの人をつかわせしにや、と思ふ所ある也、某かく思ひ合せし事は、此人のたづさへ來りし我國新製の金と錢との二ツにあり、某初に、彼もち來りし黃金三品の事を問ひし時に、本國の事のごときは、エウロパ諸國の布施によりて、金銀等の財貨もとむる事を待たずして、猶あまりありといひ、またロソンの地に、白銀多く出ぬる事、また我國東南の海島より金銀多く出ぬるを、イスパニヤ人の、とり得ることなどいひて、これらの物共の事本國にいひ送るまでもなく、我が文一ツかきてロソンに送りつかわすとも、いかほども來るべき事なり、と申せしに、某が耳にはとまりて、此人の今なにの故に來れるにや、と心得ぬ事におもひしが、思ひ合はせぬ、其國にて、我國黃金の製と銅錢の製との改まりしを傳へみて、國財以の外に窮したり、國民さだめてくるしみなむ、民くるしむ時は、命の行はれざる所あり、たとひ其禁なを行わるとも、金銀をもてみちびきなば、其禁開く事ありぬと、おもひ謀りしにや、と思ひしかば、此のちは、金銀等の事は、いひも出す事はせざりき、〉かくて、此年の冬十月七日に、彼奴なるものは病し死す、五十五歲と聞えき、其月の半より、ローマン人も、身病ひする事ありて、同じき廿一日の夜半に死しぬ、其年は、四
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