〈供して、一拜して、榻につき、右の大指を以て、額にあたりて、畫する事ありてのちに、目を瞑して坐す、坐する事久しけれども、たゞ泥塑の像のごとくにして、動く事なく、奉行の人々、また某の、坐をたつ事あれば、必ず起ちて拜して坐す、還り來りて、坐につくを見ても、必ず起ちて拜して坐す、此儀日々にかはらず、ある時、奉行の人のくさめせしを見て、其人にむかひて、呪誦して、通事にむかひ、天寒し、衣をかさねらるべき歟、我方の人は、くさめする事をばつゝしむ事也、むかし、通國此病せし事ありしが故也、といひき、又通事等ラテン語を通じて訛れるをば、打返し〳〵をしへいひて、習得れば、大きに賛美す、某がいひしをきゝて、通事の人々は、なまじゐにヲヽランドの語に學び熟したれば、舊習の除きがたき所ありて、今仰候ごとくにはあらず、これもとより我方の語に習ひ給はぬが故によりぬ、などいひてわらひたりき、又ヲヽランドの戰船には、其傍に多くの窓をまうけし事、上中下の三層あり、每窓に大砲を出せしといふ事を、いひ得ずして、かたどりいはむとする事もたやすからず、某、左手を側てゝ、その四指の間より、右手の指頭、三つを出して見せぬれば、さこそ候ひしといひて、通事等にむかひて、敏捷におはし候などといふ事共ありき、ノーワヲヽランデヤの地、こゝをさる事、いかほどにや、とたづねしに、答へず、また問ひしに、通事にむかひて、我法の大戒、人を殺すに過る事あらず、我いかでか、人ををしへて、人の國をうかゞはせ候べきといふ、某そのいふ所をきゝて、心得られず、いかにかくいふにや、と通詞等に問はせしに、存ずる所の候へば、これら地方の事は、答申すべからずといふ、猶又その所存を問しむるに、此ほど、此人を見まいらするに、此國におゐての事は存ぜず、我方におはしまさむには、大きにする事なくしておはすべき人にあらず、ヲヽランデヤノーワ、こゝをさる事遠からず、此人、その地とり得給はむと思ひ給はゞ、いとたやすかるべし、さらば、其路のよる所を詳に申さむには、人の國うつ事ををしへみちびくにこそあれといふ、某、これをきゝて、奉行の人々、聞給はむもかたはらいたければ、今きくがごときは、たとひ某そのこゝろざしありとも、我國に嚴法ありて、私に一兵を動かすことはかなひがたしと、いひてわらひたりき、すべて其過慮かくのごとくなるに至れる事どもありき、〉其敎法を說くに至ては、一言の道にちかき所もあらず、智愚たちまちに地を易へて、二人の言を聞くに似たり、こゝに知りぬ、彼方の學のごときは、たゞ其形と器とに精しき事を、所謂形而下なるものゝみを知りて、形而上なるものは、いまだあづかり聞かず、さらば、天地のごときも、これを造れるものありといふ事、怪しむにはたらず、かくて、問對の事共其大略をしるす所二册、進呈す、すでにして、明斷ありて、我國耶蘇の法を禁ずること年あり、今彼徒のこゝに來れる、行人の其寃を吿訴ふるもの也と稱す、もし行人ならむには、いかむぞ、其國信とすべきものをば帶來らずして、詭りて我國の人となり來れる、たとひ言ふところ實ならむにも、跡のごときは疑ふべし、しかりといへども、稱する所は、彼國の行人也、例によりて誅すべからず、後來其言の徵あらむを待ちて、宜く處決すべきもの也、と仰下さる、某その事情をはかるに、此後に至ても、彼國人のこゝに來らむ事は、絕ゆべからず、されば後按のために、此たびの事ども錄して、進呈すべき由を言上し訖ぬ、いくほどなくして、上にもかくれさせ給ひしほどに、正德四年甲午の冬に至て、かのむかし其敎の師の正に歸せしものの奴婢たりしといふ夫婦のもの、〈この敎師は、黑川壽庵といひしなり、番名はフランシスコ、チウアンといひし歟、奴婢の名は、男は長助、女ははるといふ、〉自首して、むかし、二人が主にて候もの、世にありし
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