なむ、此上は、かれが來りし由をもたづねきはめばやと存ず、さらむにおゐては、かれが申す所、必ず其敎の旨にわたり候べければ、奉行の人々も出あひて、事の次第をよく承れと、仰下さるべくや候はんと申す、聞召されし由仰下されたり、奉行の人々にも、出合ひ給ふべしといひやりて、十二月の四日にゆきむかふ、奉行の人々も出合たり、彼人を召出して、こゝに來れる事の由をも問ひ、又いかなる法を、我國にはひろめむとはおもひて來れるにや、とたづねとふに、かれ悅びに堪ずして、某、六年がさきに、こゝに使たるべき事を承りて、萬里の風浪をしのぎ來りて、つゐに國都に至れり、しかるに、けふしも、本國にありては、新年の初の日として、人皆相賀する事に候に、初て我法の事をも聞召れん事を承り侯は、其幸これに過ず候とて、〈彼方にしては、十二月四日をもって、歲首とする歟、但し曆法のたがひあるによれる歟、〉その敎の事ども、說き盡しぬ、其說、はじめ奉行所より出せし三册の書に見えし所に、たがふ所もあらず、たゞ其方言の同じからずして、地名人名、すこしく同じからぬあれども、皆々その音の轉じたるのみなりき、凡そ其人博聞强記にして、彼方多學の人と聞えて、天文地理の事に至ては、企及ぶべしとも覺へず、〈彼地方の事共を問ひしに答へし所は、下にしるしぬ、彼方の學、其科多し、それが中、十六科には通じたりと申しき、たとへば、其天文の事のごときは、初見の日に、坐久しくして、日すでに傾きたれば、某、奉行の人にむかひて、時は、何時にか候はんずらむと問ひしに、此ほとりには、時うつ鐘もなくて、と申されしに、彼人、頭をめぐらして、日のある所を見て、地上にありしおのが影を見て、其指を屈してかぞふる事ありて、我國の法にしては、某年某月某日の某時の某刻にて候といひき、これらは其勾股の法にして、たやすき事と見えしかど、かくたやすくいひ出しぬべしともおもはれず、又ヲヽランド鏤板の萬國の圖をひらきて、エウロパ地方にとりても、ローマはいづこにや、とたづねしかど、番字の極めて小しきなるものなれば、通事等もとめ得るあたはず、彼人、チルチヌスや候といふ、通事等なしと答へたり、何事にやといへば、ヲヽランドの語にパツスルと申すものゝ、イタリヤの語にては、コンパスと申すものゝ事に候と申す、某、その物はこゝにありといひて、ふところにせしものを取出してあたふるに、此物は、その合ふところのゆるびて、用にあたりがたく候へどもなからむにはまさりぬといひて、其圖のうちに、はかるべき所を、小しく圖したる所のあるを見て、筆をもとめて、其字をうつしとりて、かのコンパスをもちて、その分數をはかりとりて、彼圖は坐上にあるを其身は庭上の榻にありながら、手をさしのばして其小しく圖したる所よりして蜘蛛の網のごとくに繪がきし線路をたづねて、かなたこなたへ、かぞへもてゆくほどに、其手のおよびがたきほどの所に至りて、こゝにや候、見給うべし、といひて、コンパスをさしたつ、よりて見るに、小しきなる國の、針の孔のごとくなる中に、コンパスのさきはとまりぬ、その國のかたはらにローマンといふ番字あり、と通事餘等申す、此餘、ヲヽランドを始て、其地方の國々のある所を問ふに、前の法のごとくにして、一所もさし損ぜし所あらず、又、我國にして、此所はいづこぞと、とふに、又前の法のごとくにして、此所にやといふに、これも番字にてエドとしるせし所也、これら、定まれる法ありと見えしかど、其事に精しからずしては、かくたやすかるべき事にもあらず、すべて、これらの事、學び得べしやととひしに、いとたやすかるべき事也といふ、我もとより數に拙し、かなふまじき事也といへば、これらの事のごとき、あながちに、數の精しさを待つまでも候はず、いかにもたやすく學得給ふべき事也といひき、〉また、謹愨にして、よく小善にも服する所ありき、〈其人、庭上の榻につくに、まづ手を〉
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