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Page:Arai hakuseki zenshu 4.djvu/782

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し初には、その人猶ありしかど、それら死うせし後は、其學を傳ふるものあるべきにもあらず、いはんや、法禁の初は、あやまりても、彼地方のこと葉をいひしものは、嚴刑をまぬかれず、たとひ其言葉を聞傳しものも、敢て口より出すべき事にもあらず、かくて、七八十年をすぎぬれば、今はそのことばに通ぜむものあるべきにあらず、凡そ五方の語言同じからねば、たとへば、今長崎の人をして、陸奧の方言聞しめむには、心得ぬ事多かるべけれど、さすがに、我國の內のことばなれば、かくいふ事は、此ことにやと、をしはからむには、あたらずといふとも遠からじ、我萬國の圖を見るに、イタリヤ、阿蘭陀、同じく歐羅巴の地にありて、相さる事の近きは長崎陸奧相さるの遠きがごとくにはあらず、さらば、阿蘭陀の言葉によりて、彼地方のことばををしはからむに、其七八には通じぬべき事にこそ、されど、おほやけに申さむ事には、正しく其語を學得ざらむ事、をしはかりて申さむは、しかるべからず、今日の事、前日の事に同じからず、これおほやけに申す事にはあらず、某がために、そのこと葉を通ずべきためなれば、たとひ彼申さむ事、心得ぬ折ありとも、かたが心にをしはかりおもふ所を以て、某に申せ、某も又かたが申す所、正しく彼申す折の義に合へりと、信じ用ひんともおもはず、さらば、かたがをしはかる所の僻事ありとも、其罪にもあらじ、奉行の人々も聞しめされよ、彼等もとより學び得ぬ所なれば、たとひ解し申す所の訛り多しとも、咎給ふべき事にあらずと申す、人々も承りぬと答らる、かくて、午の時すぐる程に、かのものを召出せり、二人して、左右をさしはさみたすけて、庭上に至り、人々にむかひて拜す、坐を命じてのち、庭上に設置し榻につく、〈其廳事は、南面にて板緣あり、緣をさる事三尺ばかりにして、榻をまうく奉行の人々、緣に近く坐し、某は座の上の少しく奧に坐したり、大通事は板緣の上、西に跪き、稽古通事二人は、板緣の上、東に跪く、かのもの、長途を輿中にのみありて、步に堪ず、獄中よりこゝに至るをも、輿してめし致せり、これによりて、人をしてさしはさみたすけし也、榻につきし後は、寄騎の侍一人、步卒二人、そのかたはらとうしろとにありて、筵の上に跪き居れり、此のちの儀、みなこれに同じ〉其たけ高き事、六尺にははるかに過ぬべし、普通の一は、其肩にも及ばず、頭かぶろにして、髮黑く眼ふかく、鼻高し、身には茶褐色なる袖細の綿入れし、我國の紬の服せり、これは、薩州の國守のあたへし所也といふ、肌には白き木綿のひとへなるをきたりき、〈坐につきし時、右手にて、額に符字かきし儀あり、此のちも常にかくのごとし、其說は末に見ゆ、〉かくて、奉行の人