Page:鐵道震害調査書 大正12年.pdf/27

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前󠄁進󠄁し,橋脚の內1基は縱に龜裂3條を生じ,1基は平󠄁水位附近󠄁にて切斷し,6基は地盤附近󠄁にて切斷して,沈下移動を生じたり,この外鶴見戶塚間に於ける各橋梁の多くは橋臺多少前󠄁進󠄁又󠄂は傾斜󠄁し,これがため徑間短縮せり(寫眞第二十一參照),尙橋臺橋脚の切斷せしもの1箇所󠄁,バラス止に罅裂を生ぜしもの,橋臺に罅裂を生ぜしもの各2箇所󠄁あり,又󠄂神奈川横濱間帷子川橋梁は猛火のため鈑桁3連使󠄁用に堪へざる程󠄁度に彎曲せり,戶塚松󠄁田間に於て最大の被害󠄂ありしは馬入川橋梁(徑間70呎鈑桁28連,單線2列)にして,橋臺は何れも前󠄁進󠄁し,橋脚54基中48基は切斷し,その內44基は倒壞し,鈑桁も亦56連中47連は河中に墜󠄁落せり,その他の各橋梁は橋臺傾斜󠄁又󠄂前󠄁進󠄁して徑間を短縮せしもの多く,又󠄂軀體工の切斷,崩󠄁壞せしもの,或はバラス止の破壞せしもの等甚多し(寫眞第二十二乃至第二十六參照),獨り下曾我松󠄁田間川音󠄁川橋梁(徑間60呎鈑桁6連)のみは袖石垣の崩󠄁壞せし外被害󠄂認󠄁めざりき,松󠄁田御殿場間に於て被害󠄂最大なるは第五相澤川橋梁(徑間70呎鈑桁2連,單線2列)にして,東京方橋臺は一部,沼津方橋臺は大部分󠄁崩󠄁壞し,橋脚亦切斷して鈑桁2連墜󠄁落せり,尙第一酒匂川橋梁(徑間200呎構桁1連,70呎鈑桁1連)は橋脚1呎餘沈下し,又󠄂その他の橋梁に於ても橋臺の切斷,バラス止の破壞せるもの等多く,拱渠は何れも著しき損傷を受けたり。(寫眞第二十七乃至第三十九參照)

隧󠄁道󠄁 道󠄁の被害󠄂の最も大なるは箱根第七號󠄂上り線隧道󠄁にして,拱部延󠄂長約48呎間崩󠄁壞して上部の土砂陷落し,尙兩坑門及び拱に罅裂を生じたり,次󠄁に同第三號󠄂上り線隧道󠄁は內部拱及び側壁を通󠄁じて切斷し,その幅1呎餘に達󠄁して上部より土砂崩󠄁壞し,沼津方坑門口は切取土砂崩󠄁壞のため約10呎間破壞して隧道󠄁を閉塞し,東京方坑門口及びその附近󠄁の內部は各所󠄁に罅裂を生じ,下り線隧道󠄁は內部拱及び側壁を通󠄁じて切斷し,その幅1呎6吋に及び上部より土砂崩󠄁壞せり。沼津方坑門口は切取土砂崩󠄁壞のため閉塞され東京方坑門及びその附近󠄁は內部各所󠄁に罅裂を生じ,又󠄂第二號󠄂上り線隧道󠄁は內部拱に煉化石の剝脫2箇所󠄁あり,尙兩坑門及び內部所󠄁々に罅裂を生じ(寫眞第四十及び第四十一參照),第一號󠄂上り線も亦兩坑門及び內部各所󠄁に罅裂を生ぜり。その他の箱根山間に於ける隧道󠄁及び程󠄁ヶ谷戶塚間淸水谷戶隧道󠄁に在りても兩坑門口及び內部に多少の罅裂を生じたり。

停車場本屋 停車場本屋の火災に罹りしは有樂町,新橋,汐留,濱松󠄁町及び横濱の各驛にして(寫眞第四十五參照),直接地震に因る被害󠄂は東京蒲田間に於ては極めて輕微にして,川崎戶塚間に於ては沈下傾斜󠄁せしものあるも大なる被害󠄂なく,大船󠄂松󠄁田間に於ては傾斜󠄁大破したる國府津驛本屋を除くの外何れも倒潰せり(寫眞第四十九,第五十一,第五十二乃至第五十五參照)。又󠄂山北御殿場間に於ては足柄信號󠄂所󠄁倒潰し,山北驛は傾斜󠄁大破し,谷峨駿河兩驛は傾斜󠄁沈下せしが御殿場驛は被害󠄂輕微なりき。

乘降場上家 乘降場上家の燒失せしは有樂町,新橋,濱松󠄁町,橫濱の各驛及び神奈川驛下り線のものにして(寫眞第四十四,第四十六乃至第四十八參照),直接地震に因る被害󠄂は東京蒲田間に於て東京驛の汽車線用2棟(梁行各28呎)は孰れも鑄鐵柱折損屋根墜󠄁落し(寫眞第四十二及び第四十三參照),電車線用2棟(1棟は梁行18呎,1棟は梁行28呎)は大半󠄁切斷せしも倒壞を免れ,又󠄂田町驛山手線上家は地盤陷落のため一部倒壞せしもその外は被害󠄂輕微なりき。次󠄁に川崎戶塚間に於て倒壞せしは東神奈川第二乘降場及び程󠄁ケ谷驛のものにして,戶塚驛のものは古軌條の柱を用ひありしを以て地盤沈下せしも倒潰を免れたり,その他各驛に於て沈下傾斜󠄁したるもの多し。又󠄂船󠄂松󠄁田間に於ては二宮驛のもの傾斜󠄁大破し,國府津驛のものは小傾斜󠄁したる外全󠄁部倒潰し(寫眞第五十及び第五十二乃至第五十五參照),山北御殿場間に於ては山北驛下り線のもの倒潰し,駿河驛のもの傾斜󠄁せしが,御殿場驛のものは被害󠄂輕微なりき。

貨物積卸場上家 貨物積卸場上家は東京蒲田間に於ては被害󠄂極めて輕微にして,川崎戶塚間に於ては程󠄁ケ谷驛のもの沈下傾斜󠄁せし外被害󠄂少く,大船󠄂松󠄁田間に於ては國府津驛のもの小傾斜󠄁,下曾我松󠄁田兩驛のもの半󠄁潰大破せる外全󠄁部倒潰し,山北御殿場間に於ては被害󠄂輕微なりき。

乘降場擁壁 乘降場擁壁は東京蒲田間に於ては笠石目地の一部罅裂を生じ又󠄂は擁壁小傾斜󠄁せしのみにして被害󠄂大ならず。川崎戶塚間に於ては笠石の墜󠄁落し擁壁の一部崩󠄁又󠄂は傾斜󠄁をなせしもの多く,戶塚松󠄁田間に於ては大部分󠄁崩󠄁又󠄂は大傾斜󠄁沈下屈曲等大破せるもの多し(寫眞第五十三乃至第五十五參照)。尙山北御殿場間に於ても罅裂傾斜󠄁等の被害󠄂ありたり。

積卸場擁壁 積卸場擁壁は東京蒲田間に於ては小罅裂を生ぜし箇所󠄁あるも大部分󠄁は殆ど被害󠄂なく,又󠄂川崎戶塚間に於ても大なる被害󠄂認󠄁めず,戶塚松󠄁田間に於ては大磯,二ノ宮,下曾我各驛のもの罅裂崩󠄁壞大傾斜󠄁をなし,大船󠄂藤󠄇澤,國府津のものは沈下小破し,辻堂,茅ケ崎,平󠄁塚のものは被害󠄂殆どなし,又󠄂松󠄁田御殿場間に於ては松󠄁田驛のもの一部分󠄁崩󠄁壞し,山北驛のもの龜裂沈下せり。

建󠄁 停車場本屋及び附屬建󠄁物を除きたる諸建󠄁物に於ては鐵道󠄁省本廳舍,鐵道󠄁省敎習󠄁所󠄁,東京第一改良事務所󠄁,東京第二改良事務所󠄁,新橋運󠄁輸事務所󠄁,新橋保線事務所󠄁,新橋電力事務所󠄁,東京建󠄁設事務所󠄁,鐵道󠄁病院,汐留倉庫,東京,汐留及び橫濱等の官舍,被服󠄁工場,公󠄁報印刷所󠄁,永樂町變電所󠄁等は孰れも全󠄁燒し,横濱倉庫,矢口發電所󠄁,川崎,大井,大船󠄂,二ノ宮の各變電所󠄁,大井工場及び品川,高島,山北の各機關車庫等は傾斜󠄁破損等の部分󠄁的損害󠄂を蒙りたるもの多し(寫眞第五十六及び第五十七參照)。尙沿線各驛の官舍は前󠄁記󠄂燒失せしものゝ外倒潰,傾斜󠄁,破損等の被害󠄂ありたるもの多し。

跨線橋 跨線橋は何れも大なる被害󠄂なく,多くは乘降場面の沈下に伴󠄁ひて脚柱基礎と土臺石との目地の切斷及び階段全󠄁體移動せしに過󠄁ぎず,震動の劇しかりし大船󠄂松󠄁田間に於ては