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は倒潰し,構內地下道󠄁も大破損を來せり,この外切取法面の崩󠄁壞,築堤沈下等の被害󠄂亦數箇所󠄁に及べり。

又󠄂房󠄁線に於ては工事中の嶺岡隧道󠄁崩󠄁壞し,尙竣工せし拱橋に龜裂を生じ,築堤の沈下したるもの數箇所󠄁ありたり。

急󠄁工事 前󠄁記󠄂の如く鐵道󠄁の被害󠄂は極めて劇甚なるのみならず,その範圍も435哩の多きに及び,且被害󠄂道󠄁運󠄁輸交󠄁通󠄁上最も重要󠄁なる線路にして,當時特に交󠄁通󠄁機關の要󠄁望󠄁せらるる際なりしを以て,これが應急󠄁工事も分󠄁秒を爭ひ,各從事員不眠不休の努力を致し,直に東京附近󠄁の應急󠄁工事に着手すると共に各地の被害󠄂狀況を明にするため,徒步者或は自働車又󠄂はトロリー等を各方面に派󠄂遣󠄁し,これ等より得たる情󠄁報を綜合し被害󠄂程󠄁度を探知し,又󠄂一方全󠄁力を擧げて電信電話等通󠄁信機關の復舊を計り,以て漸次󠄁害󠄂狀況を明にするを得,應急󠄁工事の計畫(熱海線を除く)を建󠄁て各方面とも數區間に分󠄁ちその部署を定め,各區間一齊に應急󠄁工事に着手し(熱海線を除く)沈下陷落せる築堤を復舊し,線路上に崩󠄁壞せる土砂又󠄂は石垣或は散亂せる電柱及び信號󠄂機等を取片付け,橋臺橋脚の破損せるものはステージング又󠄂はサンドル等にて假工事を行ひ,隧道󠄁に在りては被害󠄂の著しき部分󠄁に古軌條又󠄂は木材にて假受を設け,停車場本屋の倒壞せるものは假小屋を設け,又󠄂は倒壞を免れし附屬建󠄁物を修理し假本屋に充て,信號󠄂機,給水器等も亦假修理をなし,軌道󠄁の整正を行ひ,何れも列車運󠄁轉に差支へなき程󠄁度の應急󠄁工事を施行し,順調󠄁に漸次󠄁列車を運󠄁轉したり。(第十九表及び附圖第五參照)

第二章 線路別被害󠄂槪況

第一節 東海道󠄁本線(東京御殿場間70.3哩)

本線の區域はその延󠄂長約70哩に亘るを以て,被害󠄂程󠄁度も區間によりて大差を生じ,東京横濱地方に於けるが如き火災に因る被害󠄂を除き,直接震災に因るものは東京より西下するに從ひ漸次󠄁その度を增し,淸水谷戶隧道󠄁を越え戶塚驛附近󠄁より一層甚しく,國府津下曾我附近󠄁最も劇しく,これより西するに從ひ被害󠄂の度を減少し,足柄信號󠄂所󠄁近󠄁に於て再びその度を增し,御殿場驛に至りて減少せり,依て本區域を地震直接の被害󠄂程󠄁度より大別すれば,戶塚足柄間,六郷󠄁川戶塚間,足柄御殿場間,東京六郷󠄁川間の順序にして,戶塚足柄間の如きは熱海線と大差なき程󠄁度の損害󠄂を蒙りたり。

切取 東京程󠄁ヶ谷間に於ては切取の崩󠄁壞せるものなく,程󠄁ケ谷戶塚間に於ては淸水谷戶隧道󠄁の東京方坑門附近󠄁約1,000坪󠄁崩󠄁壞を最大とし,同隧道󠄁沼津方坑門附近󠄁の約500坪󠄁これに次󠄁ぎ,その他3,4箇所󠄁崩󠄁壞あり,松󠄁田足柄間は箱根山間を通󠄁ずるを以て從て切取の被害󠄂多く,箱根第三號󠄂及び第四號󠄂道󠄁間を閉塞したる數萬立坪󠄁崩󠄁壞を最も大なるものとし線路開通󠄁のため取除たる土積約10,000立坪󠄁達󠄁す(附圖第十及び寫眞第一參照)これに次󠄁ぐは山北驛構內の約900坪󠄁,汐留起󠄁點66哩13鎖󠄁近󠄁(以下哩程󠄁は汐留起󠄁點とす),の約700坪󠄁,65哩78鎖󠄁近󠄁の約600坪󠄁等にして,その他500坪󠄁以下の崩󠄁壞數十箇所󠄁あり(寫眞第二及び第三參照),足柄御殿場間に於ては大なる崩󠄁壞箇所󠄁なく,只切取法面空󠄁積石垣の崩󠄁壞箇所󠄁に被害󠄂ありしに過󠄁ぎず。

築堤 東京六郷󠄁川間に於ては田町驛附近󠄁汽車線の延󠄂長約66呎に亘り築堤約3呎沈下せるを最大なるものとし(寫眞第四參照),その他品川蒲田間に於て3,4箇所󠄁の小沈下ありしに過󠄁ぎず,六郷󠄁川戶塚間に於ては23哩29鎖󠄁近󠄁延󠄂長約200呎に亘り約8呎沈下せるを最も大なるものとし,その他7呎以下の沈下十數箇所󠄁あり,戶塚足柄間は東海道󠄁線中に於ける最大被害󠄂區間にして,國府津下曾我附近󠄁延󠄂長約2 1/2哩に亘りて殊に甚しく全󠄁部潰滅して堤形を存せず,その最大沈下約25呎に達󠄁せり(第五表並に寫眞第九及び第十參照),これに次󠄁ぐは二宮驛東京方の最大沈下20呎,47哩25鎖󠄁近󠄁延󠄂長1,320呎に亘る最大沈下約12呎,53哩25鎖󠄁より延󠄂長約2哩間の沈下最大約20呎,55哩73鎖󠄁近󠄁の沈下最大約15呎,56哩12鎖󠄁近󠄁の沈下最大約25呎,67哩27鎖󠄁より同哩48鎖󠄁に至る最大沈下約15呎等にして,この外10呎以下の沈下各所󠄁に在り(寫眞第十一乃至第十七參照),尙本區間に於ける築堤の罅裂亦甚しく,茅ヶ崎平󠄁塚間茅ヶ崎川附近󠄁(38哩20鎖󠄁乃至38哩55鎖󠄁)に於ては幅8呎,深5呎,延󠄂長40呎に達󠄁するもの,及び幅6呎,深6呎,延󠄂長330呎に達󠄁するものありたり(寫眞第五乃至第八參照),足柄御殿場間に於ては68哩37鎖󠄁より同哩71鎖󠄁に至る沈下約7呎を最大なるものとし,この外6呎以下の沈下數箇所󠄁ありたり。

土留壁 東京六郷󠄁川間に於ては大森驛構內に於ける築堤土留石垣(間知石空󠄁積)の小被害󠄂ありしのみにして,六郷󠄁川戶塚間に於ては築堤土留石垣(間知石空󠄁積)の崩󠄁壞6箇所󠄁,孕出6箇所󠄁,切取法留石垣の小崩󠄁壞1箇所󠄁あり,戶塚松󠄁田間に於ては築堤土留石垣の空󠄁又󠄂は練積にして崩󠄁壞せしもの12箇所󠄁,切取法留空󠄁積石垣の崩󠄁壞3箇所󠄁あり,(寫眞第十八參照),松󠄁田足柄間に於ては築堤土留石垣(間知石又󠄂は割石)の空󠄁又󠄂は練積にして崩󠄁壞せしもの18箇所󠄁,切取法留石垣(間知石又󠄂は割石)の空󠄁又󠄂は練積にして崩󠄁壞せしもの60箇所󠄁の多きに達󠄁し,(寫眞第十九參照),足柄御殿場間に於ては築堤土留石垣(間知石又󠄂は割石)の空󠄁積にして崩󠄁壞せしもの4箇所󠄁,切取法留石垣(間知石又󠄂は割石)の空󠄁積にして崩󠄁壞せしもの15箇所󠄁ありたり。

橋梁 東京六郷󠄁川間に於ては高架線有樂町新橋間の拱橋火災のため煉化石の表面剝落(附圖第十一,第十二及び寫眞第二十參照)せる外,直接地震に因る被害󠄂は橋臺の中央部に縱罅裂1條を生ぜしもの3箇所󠄁,橋臺の前󠄁方に僅傾斜󠄁せしと認めらるるもの4,5箇所󠄁,及び袖石垣の沈下せしもの數箇所󠄁ありしのみ,六郷󠄁川戶塚間に於て被害󠄂の大なるは六郷󠄁川橋梁(徑間約40呎鈑桁24連4列,110呎構桁5連2列)にして兩橋臺とも縱に龜裂を生じ