Page:鐵道震害調査書 大正12年.pdf/25

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於けるもの)は全󠄁く倒潰し,2棟は倒潰を免れたるも柱の大部分󠄁折斷し,殘餘の3棟は燒失して僅に柱を殘存せるものありしに過󠄁ぎず。

尙古軌條を使󠄁用せし貨物上家にして,屋根に鐵筋混凝土スラプを用ひしものは倒潰又󠄂は傾斜󠄁せしも亞鉛󠄁引鐵板葺のものは異狀なかりき。

跨線橋 跨線橋は他の建󠄁造󠄁物に比して被害󠄂著しく尠く,木造󠄁のもの49箇所󠄁,鐵桁にして橋脚の鑄鐵柱なるもの29箇所󠄁,鋼柱のもの9箇所󠄁ありしが,何れも震災に因る被害󠄂輕微にして,激震地に於けるものと雖鑄鐵柱又󠄂は繫桿の切斷,若はこれを取付けたる柱の鑄出部の缺損,脚の受臺の移動等ありしに過󠄁ぎず,又󠄂外に火災に罹れるもの1箇所󠄁(橫濱驛)ありたり。(第一表及び第十二表參照)

地下道󠄁 地下道󠄁は激震地方に在りしもの,即ち熱海線小田原,早川,眞鶴の3驛,東海道󠄁本線下曾我驛,橫須賀線鎌󠄁倉驛,横濱櫻木町間電車線櫻木町驛等に設けられたるものに被害󠄂ありしも東京附近󠄁に於けるものは殆ど被害󠄂なかりき。(第一表及び第十三表參照)

信號機 號󠄂機自體の震害󠄂を被れるは少數なりしも,建󠄁植地盤の沈下又󠄂は移動のため傾斜󠄁したるもの多く,折損倒壞せしものこれに次󠄁ぐ,尙東京横濱兩市內に於ては火災に罹りたるもの亦尠からざりき。(第一表及び第十四表參照)

給水設備 給水臺の疊築工より成るもの10箇所󠄁中3箇所󠄁,木造󠄁のもの25箇所󠄁中6箇所󠄁,鐵製のもの15箇所󠄁中2箇所󠄁破損せり,又󠄂給水臺崩󠄁壞のため水槽の轉落破損せしもの木造󠄁鐵製を合し 11箇所󠄁あり。(第一表、第十五表其一及び附圖第二參照)

尙掘拔井戶84箇所󠄁及び掘井戶299箇所󠄁に就き地震の影響󠄂を檢せしに槪ね被害󠄂輕微にして,掘拔井戶中全󠄁部鐵管を挿入したるものには全󠄁然被害󠄂なく,上部鐵管下部掘放しのもの及び竹管を用ひたるものゝ一部に渴水又󠄂は減水したるものありしに過󠄁ぎず,掘井戶は掘拔井戶に比し淺きものなるも299箇所󠄁中60箇所󠄁の被害󠄂ありしのみなり。(第十五表其二,其三及び附圖第二參照)

道󠄁 延󠄂長1,093哩中被害󠄂ありたるもの179哩にして,築堤箇所󠄁に於ける被害󠄂は東海道󠄁本線國府津下曾我間及び熱海線國府津鴨宮間最も甚しく,軌道󠄁はその中心より70~80呎の遠󠄁距離に投げ出され,軌條繼目部に於て切斷し甚しく彎曲せしあり,或は築堤の崩󠄁壞せる土砂中に埋沒せしあり,切取箇所󠄁に於ける被害󠄂は熱海線根府川驛附近󠄁最も甚しく,軌道󠄁は山崩󠄁のため全󠄁部海中に押し出されて形跡を留めざる程󠄁の慘狀を呈󠄁したり,尙その他の區間に於ても彎曲沈下及び埋沒等の被害󠄂頗る多く火災のため枕木等の燒損せしもの亦尠からず。(第一表及び第十六表參照)

列車 震災發生當時被害󠄂區域內に運󠄁轉中の列車112あり,內轉覆又󠄂は脫線せしもの23箇列車,火災に罹りしもの9箇列車にして,これを線別に示せば第一表及び第十七表の如し,而して旅客の死亡117名,重傷61名,輕傷56名,職員の死亡13名,重傷2名,輕傷4名なりとす。(第一表第十七表及び附圖第三參照)

車輛 車輛の燒損したるものは機關車のタンク型17輛,テンダー型31輛,客車のボギー車297輛,四輪車116輛,貨車の有蓋車688輛,無蓋車274輛にして,破損したるものは機關車のタンク型6輛,テンダー型35輛,客車のボギー車24輛,四輪車6輛,電動車3輛,附隨車1輛,貨車の有蓋車138輛,無蓋車73輛なり。(第一表,第十八表及び附圖第四參照)

而して停車中の機關車又󠄂は他の車輛にして,軌道󠄁の水準に狂ひを生ぜざる處に在りても橫顚せるもの尠からず,又󠄂以て地震の强度を推知するの資󠄁料と爲し得べきか。

電線路 電線路の被害󠄂は沿線停車場及び線路の被害󠄂とその狀況を一にし,東京田町間,東京牛込󠄁間,上野鶯谷間の如きは火災によりて燒失したるもの多かりしも,その他の區間に於ける地震動による直接の被害󠄂は電柱等に多少の損傷を來したる外極めて輕微なりき。

但上記󠄂の被害󠄂は當時の電車運󠄁轉區間に於けるものにして,電氣運󠄁轉準備中に屬せし電線路の內橫濱横須賀間は鐵柱を用ひ,大船󠄂小田原間は假設として木柱を用ひ大半󠄁竣成し居りしが,路盤の崩󠄁壞沈下に伴󠄁ひてこれ等支󠄂柱は傾斜󠄁,顚倒等の厄に遇󠄁ひ,國府津小田原間の被害󠄂最も甚しかりき。

通󠄁信設備 通󠄁信設備の被害󠄂は頗る多大にして,機器,電線,電柱及び線條の破壞又󠄂は顚倒或は燒失せしもの多く,東京を中心とし各方面その通󠄁全󠄁く杜絕するに至れり。

震災の鐵道󠄁輸送󠄁に及ぼしたる影響󠄂 震災に因る鐵道󠄁害󠄂程󠄁度をその應急󠄁修理に要󠄁せし日時並に輸送󠄁數量の方面より推知するに資󠄁せんがため,線路開通󠄁一覽表(第十九表及び附圖第五),全󠄁線に於ける貨物月別發送󠄁噸數圖表(附圖第六),各鐵道󠄁局別使󠄁用貨車數變動圖表(附圖第七),及び罹災地の殆ど全󠄁部を包󠄁擁する東京鐵道󠄁局管內の旅客列車哩及び貨物列車哩圖表(附圖第八),並に旅客延󠄂人哩及び貨物延󠄂噸哩圖表(附圖第九)を添附せり,該表によれば,旅客輸送󠄁は大正十二年度は同十一年度に比し五,六,七月は稍々少數なりしも八月に至りて增加せしに,九月は震災に因り東京に集注する線路悉く破壞不通󠄁となりしため八月の約半󠄁數に減少し,應急󠄁工事成るに從ひ運󠄁輸數量漸次󠄁增大し,十月に至りては震災前󠄁の八月以上に上り前󠄁年度同月に比して遙に超過󠄁せり,而して貨物の輸送󠄁狀況も亦大體に於て同一の趨勢を示せり。

工事中線路の被害󠄂 工事中の鐵道󠄁線路にして著しき被害󠄂ありたるは熱海線眞鶴熱海間及び安房線江見鴨川間にして,熱海線に於ては竣工せし下長窪,一本松󠄁兩隧道󠄁の坑門附近󠄁の覆工に大龜裂を生じ,又󠄂工事中の逢初山隧道󠄁崩󠄁壞して工夫26人坑奧に閉塞せられ,尙工事中なりし千歲川橋梁橋臺及び橋脚切斷し,殆ど竣工に近󠄁かりし,湯ヶ原驛本屋及び附屬建󠄁