Page:那珂通世遺書.pdf/456

提供:Wikisource
このページはまだ校正されていません



四。​合兒魯兀惕​​カルルウト​。


​鐵邁赤​​テマイチ​。

 列傳卷九、​鐵邁赤​​テマイチ​、​合魯​​カル​氏。太祖︀の時、​忽蘭​​クラン​皇后の挏馬官。至元七年、蒙古諸︀萬戶府の​奧魯​​アウル​總管。


五。​合喇乞塔惕​​カラキタト​。


​曷思麥里​​カスメリ​。

 列傳卷七、​曷思麥里​​カスメリ​、西域​谷則斡兒朶​​グツエオルド​人、初爲西遼​闊兒罕​​コルカン​近侍。​谷則斡兒朶​​グツエオルド​は、遼史天祚紀に見えたる​耶律大石​​エリユタイシ​の都︀​虎思斡耳朶​​フスオルド​、西遼の​闊兒罕​​コルカン​は、​合喇乞塔惕​​カラキタト​の​古兒罕​​グルカン​なり。​曷思麥里​​カスメリ​の​者︀別​​ヂエベ​に從ひ西域諸︀國に轉戰したることは、實錄卷十一の注に引けり。太祖︀の末年、​必闍赤​​ビジエチ​。太宗四年、懷孟州の​達魯花赤​​ダルハチ​。十一年、長子​捏只必​​ネヂビ​、懷孟州の​達魯花赤​​ダルハチ​を襲ぎ、次子​密里吉​​ミリギ​、​必闍赤​​ビジエチ​を襲ぎ、​曷思麥里​​カスメリ​は​札魯火赤​​ヂヤルホチ​となり、十二年懷孟河南二十八處の都︀​達魯花赤​​ダルハチ​に進めり。


六。​撒兒惕​​サルト​卽​回回​​フイフイ​。


1。​札八兒火者︀​​ヂヤバルホヂヤ​。

 列傳卷七、​札八兒火者︀​​ヂヤバルホヂヤ​、​賽夷​​サイイ​人。​賽夷​​サイイ​、西域部之族長也、因以爲氏。​火者︀​​ホヂヤ​、其官稱也。​火者︀​​ホヂヤ​卽​闊札​​コヂヤ​は、​抹哈篾惕​​モハメト​敎の一派なる​賽亦惕​​サイイト​派の人の用ふる稱號なり。賽夷人は、卽​賽亦惕​​サイイト​派の人にして、地の名に非ず。​賽亦惕​​サイイト​は、族長に非ずして、宗派の長なり。その長は、​賽亦惕​​サイイト​何某と稱するが故に氏と誤れるなり。この傳には、疑はしきことのみ多し。​札八兒​​ヂヤバル​は、西域の人なれば、太祖︀に降れるは、太祖︀西征の後にあるべきを、​克烈​​ケレイ​の​汪罕​​ワンカン​との戰には​班朱尼​​バンヂユニ​河の誓に與れりとし、南征の役には居庸關の間道を前導せりとして、​者︀別​​ヂエベ​の南口より襲へる事實と撞着せり。金人汴に遷りて、乘輿北に歸る時、「留​札八兒​​ヂヤバル​、與諸︀將守中都︀」も、本紀諸︀傳に見えざるのみならず、「授黄河以北鐵門以南天下都︀​達魯花赤​​ダルハチ​」と云へるに至りては、恐らくは誇張の言なるべし。「有丘眞人者︀、有道之士也、隱居崑崙山中。太祖︀聞其名、命​札八兒​​ヂヤバル​往聘之。云云」と云へるも、西游記に「住萊州昊天觀。​成吉思​​チンギス​皇帝遣侍劉仲祿、縣虎頭金牌、傅旨敦請」とあるに合はず。この時は、大軍正に西に進める時なれば、​札八兒​​ヂヤバル​は未太祖︀にも降らず、丘眞人の名をも知らざりけん。卒したるは何年とも云はずして、年は一百一十八なり。長子​阿里罕​​アリカン​は、憲宗の時天下の質子兵馬都︀元帥。


2。​阿剌瓦而思​​アラワルス​。

 列傳卷十、​阿剌瓦而思​​アラワルス​、​回鶻八瓦耳​​フイフバワル​人。仕其國爲千夫長。太祖︀征西域、駐蹕​八瓦耳​​バワル​之地。​阿剌瓦而思​​アラワルス​、率其部曲來降、從帝親征。云云、沒于軍。​八瓦耳​​バワル​は、​閣喇散​​コラツサン​の​巴兀兒篤​​バウルド​なるべし。​巴兀兒篤​​バウルド​に至れるは、太祖︀に非ず、他の將なるべし。「子​阿剌瓦丁​​アラワヂン​(​阿來兀丁​​アライウツヂン​)從世祖︀北征有功」。その子​贍思丁​​シエンスヂン​に子五人あり。長は​烏馬兒​​ウマル​(​斡馬兒​​オマル​)、次は​不別​​ブベ​、次は​忻都︀​​ヒンド​、次は​阿合馬​​アハマ​(​阿呵篾惕​​アハメト​)、次は​阿散不別​​アサンブベ​。​阿散不別​​アサンブベ​の子​斡都︀蠻​​オドマン​(斡惕蠻)。


3。​賽典赤贍思丁​​サイデンチシエンスヂン​

 列傳卷十二、​賽典赤贍思丁​​サイデンチシエンスヂン​、一名​烏馬兒​​ウマル​、​回回​​フイフイ​人、​別菴伯爾​​ベアンベル​之裔。其國言​賽典赤​​サイデンチ​、猶華言貴族也。太祖︀西征​贍思丁​​シエンスヂン​率千騎、以文豹白鶻迎降。命入宿衞、從征伐、以​賽典赤​​サイデンチ​呼之而不名。​別菴伯爾​​ベアンベル​の事は、常德の西使記に「​報達​​バウダ​之西、馬行二十日、有天房、內有天使神︀胡之祖︀葬所也。師名​癖顏八兒​​ビヤンバル​〈[#ルビの「ビヤンバル」は底本では「ビヤバル」。他の「癖顏八兒」のルビに倣い修正]〉。房中懸鐵絚。以手捫之、心誠可及、不誠者︀竟不得捫。經文甚多、皆​癖顏八兒​​ビヤンバル​所作」とあり。​別菴伯爾​​ベアベル​も、​癖顏八兒​​ビヤンバル​〈[#「癖顏八兒」の「八」は底本では印刷が薄いが他のルビに倣い修正]〉も、珀兒沙語にて豫