而桑忽荅兒サングダル爲霍忽ホフ所殺︀。帝聞而憐之、遣使者︀、以銀鈔羊馬迎致麥里メリ、賜號曰荅剌罕ダラハン、尋卒」。麥里メリは、蔑里克メリクの略なり。從定宗は、太宗八年の西征、從憲宗は、憲宗八年の南伐なり。諸︀王霍忽ホフは、世系表定宗の第三子禾忽ホフ大王、昔班シハンの傳の火和ホホ大王、李庭の傳の叛臣霍虎ホフなり。至元中諸︀王海︀都︀ハイドの叛ける時、火和ホホ大王もその黨なることは、昔班シハンの傳に見え、李庭の傅には「庭至哈剌和林ハラホリム・晃兀兒コングル之地、越嶺北、與撒里蠻サリマン諸︀軍大戰敗之、移軍河西、擊走叛臣霍虎ホフ、追至大磧而還」と見えたれども、世祖︀卽位の初に叛きたることは、本紀諸︀傳に見えず。世祖︀紀中統元年阿里不哥アリブカの亂に「九月、阿藍荅兒アランダル率兵至西涼府、與渾都︀海︀クンドハイ軍合。詔諸︀王合丹合必赤カダンカビチ、與總帥汪良臣等、率師討之。丙戌、大敗其軍于姑臧、斬阿藍荅兒及渾都︀海︀、西土悉平」とあり。霍忽王は、果して中統の初に叛きしならば、阿里不哥アリブカに黨して、阿藍荅兒アランダル等に應じたるならん。
七。翁吉喇惕オンギラトの忙哥モンゲ。
列傳卷二十(元史一三三)、孛蘭奚ボランヒの傳なるとの祖︀忙哥モンゲは、貢錄四一〇頁に見えたる察阿歹チヤアダイの傅蒙客モンケにて、功臣の第三十七なる木格ムゲなるべし。畏荅兒ウイダルの傅なる忙哥モンゲ、太宗紀の蒙古漢︀札モンクハンヂヤ、祕史の蒙可哈勒札モンケハルヂヤは、別例津ベレジンの史に木勒格哈勒札ムルゲハルヂヤとあれば、親征錄の木哥漢︀札ムゲハンヂヤは、勒ルの音を略きたるなり。又祕史卷四なる木勒客脫塔黑ムルケトタク、孛禿ボトの傳の磨里禿禿モリトトを、親征錄に慕哥ムゲとあるも、勒ルの音を略きたるなり。然らばこゝの忙哥モンゲ・蒙客モンゲも、正しくは木勒格ムルゲ・木勒客ムルケにして、祕史には勒ルの字を略さたる例なければ、功臣の木格ムゲは、木ムの下勒ルの字を脫したるならん。その傳に曰く「孛蘭奚ボランヒ、雍吉烈ヨンギレ氏、世居應昌。祖︀忙哥モンゲ、以后族備太祖︀宿衞」とあれば、忙哥モンゲは、翁吉喇惕オンギラトの一人にて、德薛禪デイセチエンの族なり。「父律實リユシ、狀貌魁偉、有謀、善騎射。太宗甞問以軍旅之事、應對稱旨、卽命爲千戶」。律實リユシ始めて千戶となれるが如く聞ゆれども、忙哥モンゲは果して功臣の木格ムゲならば、太祖︀の時已に千戶となり、律實リユシはその職を襲ざたるならん。「尋以爲齊王府司馬。後從睿宗伐金有功、詔還宿衞、以疾卒」。齊王とは、拙赤合撒兒ヂユチカツサルの子也松格エスンゲを云へるなり。世系表に移相哥イシヤンゲ大王の子勢都︀兒シドル王、勢都︀兒シドルの子齊王八不沙バブシヤありて、諸︀王表齋王の下に「八不沙バブシヤ、大德十一年封」とあり。八不沙バブシヤ齊王に封ぜられたるに由り、その父祖︀までも泝りて齊王と云へり。「孛蘭奚ボランヒ、英邁有父風、‥‥從軍有功、襲父官爲齊王司馬。世祖︀親征乃顏ナヤン、以齊王兵從。兵始交、孛蘭奚ボランヒ躍馬陷陣、斬其旗、所向披靡、云云」。この時の齊王は、年代より考ふれば、勢都︀兒シドル王なるに似たり、然るにこの勢都︀兒シドル王は、世祖︀紀至元二十四年四月諸︀王乃顏ナヤンの反ける時、「六月、諸︀王失都︀兒シドル所部鐵哥テゲ、率其黨、取咸平府、渡遼、欲劫取豪懿州」、「七月、乃顏ナヤン黨失都︀兒シドル犯咸平」、と見え、土土哈トトハの傳に「世祖︀親征乃顏ナヤン、遣使命土土哈トトハ、收其餘黨。沿河而下、遇叛王鐵哥テゲ軍萬騎、擊走之」とある鐵哥テゲも、失都︀兒シドルの所部なれば、失都︀兒シドル卽勢都︀兒シドルは、乃顏ナヤンの黨にして、世祖︀の親征に從へるに非ず。然らば孛蘭奚ボランヒのみ、その主より離れて世祖︀に從ひたるにや。又この勢都︀兒シドルは、喇失惕ラシツトの史に、額篾根エメゲンの子、也生哥エシンゲ(移相哥イシヤンゲ〈[#ルビの「イシヤンゲ」は底本では「トシヤンゲ」。以後の同ルビがすべて「イシヤンゲ」とあることに倣い修正]〉)の孫とし、世系表と異なれば、世系表は誤れるにて、移相哥イシヤンゲの嗣子、齊王八不沙バブシヤの父は、別に有りて、勢都︀兒シドルの叛に與せざりしにや。又多遜ドーソンに據れば、至元二十五年に平げられたる乃顏ナヤンの餘黨の內には勢都︀兒シドルもありて、勢都︀兒シドルは遂に殺︀されたりと云へれども、本紀諸︀傳には合丹禿魯干ガタントルガン等のみありて、勢都︀兒シドルなく、至元二十九年正月「賜諸︀王失都︀兒シドル金千兩」と本紀に見ゆれば、蓋二十四年敗北の後罪を悔︀いて歸順したるならん。
八。客咧亦惕ケレイドの失喇忽勒シラクル、脫不合トブカ兄弟。
列傳卷二十一(元史一三四)、也先不花エツセンブハの傳なるその祖︀失剌斡忽勒シラオフル、伯祖︀脫不花トブハは、功臣の第六十七なる失喇忽勒シラクル、第七十四なる脫不合トブカなり。「也先不花エツセンブハ、蒙古怯烈ケレイ氏。祖︀曰昔剌斡忽勒シラオフル、兄弟四人、長曰脫不花トブハ、次曰