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Page:成吉思汗実録.pdf/98

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紀行に獨渾剌 河とあり。今の土拉 河また圖拉 河なり。合喇屯は、黑林にて、今の昭莫多 卽ち 東庫倫 の地、または今の庫倫の南なる汗山 卽ち汗阿林の地なり。)​王罕​​ワンカン​の​處​​トコロ​に​帖木眞​​テムヂン​ ​到​​イタ​りて​言​​イ​はく「​前​​サキ​の​日​​ヒ​ ​我​​ワ​が​父​​チヽ​に​安達​​アンダ​と​云​​イ​ひ​合​​ア​ひたりき、​爾​​ナムチ​。​父​​チヽ​にも​等​​ヒト​しくあるぞ」と​云​​イ​ひて、「​妻​​ツマ​を​下​​オ​ろして​被​​キ​せ​奉​​タテマツ​る[​舅姑​​キウコ​への​禮物​​レイブツ​]を​爾​​ナムチ​に​持​​モ​ち​來​​キ​ぬ」とて、​貂鼠​​テウソ​の​裘​​カハコロモ​を​與​​アタ​へたり。

​王罕​​ワンカン​の喜び

​王罕​​ワンカン​ ​甚​​イタ​く​喜​​ヨロコ​びて​言​​イ​はく「​黑​​クロ​​合喇​き​貂鼠​​テウソ​の​裘​​カハコロモ​の​返禮​​ヘンレイ​​合哩兀​に、​離​​ハナ​​合合察​れたる​汝​​ナンヂ​の​部眾​​ブシウ​を​集​​アツ​​含禿惕合​めて​與​​アタ​へん。​貂鼠​​テウソ​​不魯罕​の​裘​​カハコロモ​の​返禮​​ヘンレイ​に、​散​​チ​​不塔喇​りたる​汝​​ナンヂ​の​部眾​​ブシウ​を​纏​​マト​​不古惕客勒都︀​め​合​​ア​ひて​與​​アタ​へん。​腰​​コシ​​孛可咧​の​尖​​サキ​​孛克薛​に​腔子​​コウシ​​扯客咧​の​胸​​ムネ​​扯額只​に​存​​ア​れ(腹に胸に記憶して忘れじ)」と​云​​イ​へり。


§97(02:41:03)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年) Open original book in Wikimedia


​者︀勒篾​​ヂエルメ​の​來屬​​ライゾク​

 そこより​回​​カヘ​りて​不兒吉 岸​​ブルギ ガシ​に​居​​ヲ​る​時​​トキ​、​不兒罕 獄​​ブルカン ダケ​より​兀哴罕​​ウリヤンカン​の​人​​ヒト​ ​札兒赤兀歹 額不堅​​ヂヤルチウダイ エブゲン​(札兒赤兀歹 翁。蒙古 源流​札爾楚泰​​ヂヤルチユタイ​)は、​鍛冶​​カヌチ​の​風匣​​フイゴ​を​負​​オ​ひて、​者︀勒篾​​ヂエルメ​(親征錄 元史​折里麥​​ヂエリメ​、蒙古 源流​濟拉瑪​​ヂラマ​)と​云​​イ​へる​子​​コ​を​引​​ヒ​きて​來​​キ​て、​札兒赤兒歹​​ヂヤルチウダイ​ ​言​​イ​はく「​斡難︀​​オナン​の​迭里溫​​デリウン​ ​孤山​​コザン​に​居​​ヲ​る​時​​トキ​、​帖木眞​​テムヂン​ ​生​​ウマ​れたる、​貂鼠​​テウソ​の​襁褓​​ムツキ​(蒙語​捏兒克​​ネルク​、明譯 裹兒袱)を​與​​アタ​へたりき、​我​​ワレ​。この​子​​コ​ ​者︀勒篾​​ヂエルメ​をも​與​​アタ​へたりき、​我​​ワレ​。​小​​チヒサ​しとて​伴​​ツ​れて​去​​サ​れりけり。​今​​イマ​ ​者︀勒篾​​ヂエルメ​に​鞍​​クラ​​額篾額勒​を​置​​オ​かせ、​門​​カド​​額兀頭​を​開​​ア​けさせよ」と​云​​イ​ひて​與​​アタ​へたり。


§98(02:42:04)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年) Open original book in Wikimedia


​訶額侖 母​​ホエルン ハヽ​ を​豁阿黑臣 嫗​​ゴアクチン オウナ​の喚び起し

 ​客魯嗹 河​​ケルレン ガハ​の​源​​ミナモト​に​不兒吉 岸​​ブルギ ガシ​に​下​​オ​りて​居​​ヲ​る​時​​トキ​、​一朝​​ヒトアサ​ ​早​​ハヤ​く、​白​​シラ​み​黃​​キ​ばみ​明​​ア​けんとする​時​​トキ​、​訶額侖 額客​​ホエルン エケ​の​家​​イヘ​の​內​​ウチ​に​働​​ハタラ​ける​豁阿黑臣 額篾堅​​ゴアクチン エメゲン​(豁阿黑臣 嫗)​起​​オ​きて​言​​イ​はく「​母​​ハヽ​、​母​​ハヽ​、​疾​​ト​く​起​​オ​き