Page:成吉思汗実録.pdf/7

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は、​後​​ノチ​の​世​​ヨ​には​傳​​ツタ​はらずして、その​斷簡 殘編​​ダンカン ザンペン​を見たる人ありし事をも​聞​​キ​かず。

 ​明​​ミン​の​太祖︀​​タイソ​の​洪武​​コウブ​ 二年 三年、​宋濂​​ソウレン​ ​王褘​​ワウヰ​ ​等​​ラ​が、​勅​​ミコト​を​蒙​​カウム​りて元史を​修​​ヲサ​むる時には、「​金匱之書​​キンキノシヨ​、悉於​祕府​​ヒフ​」とありて、​元代​​ゲンダイ​には「​法​​ハフ​​不​​ズ​​得​​エ​フルヲ於​外​​ソト​」と云へる十三朝の實錄も、​皆​​ミナ​ ​北京​​ペキン​の​祕府​​ヒフ​より​南京​​ナンキン​の祕府に​移​​ウツ​りたれば、原本 祕史も修正 祕史も​歷朝 續修​​レキテウ ゾクシウ​の祕史も、皆 ​明人​​ミンジン​の手に​渡​​ワタ​りしならん。されども​當時​​タウジ​の​史臣​​シシン​は、​委兀兒字​​ウイウルモジ​も​蒙古語​​モウココトバ​も​解​​カイ​する者︀なきが​故​​ユヱ​に、​修史​​シウシ​の​際​​アヒダ​、蒙古文の書を​參考​​サンカウ​に用ふること​能​​アタ​はざりき。今 ​太祖︀ 本紀​​タイソ ホンギ​の​大抵​​タイテイ​ ​察罕​​チヤハン​の譯したる​聖武 開天記​​セイブ カイテンキ​ 卽ち今の​聖武 親征錄​​セイブ シンセイロク​に​合​​ア​へるは、​直​​タヾチ​に開天記に​本​​モト​づきたるにも​由​​ヨ​り、又 ​成宗​​セイソウ​の​大德​​タイトク​ 七年に​翰林 國史院​​カンリン コクシヰン​の​奏進​​ソウシン​せる太祖︀ 實錄は、​旣​​スデ​に修正 祕史に本づき、開天記に​大​​オホイ​に​異​​コト​ならずして、元史はその實錄に本づきたるにも由れるなり。

 此書は、原本の蒙古文を​原音​​ゲンオン​のまゝに​漢︀字​​カラモジ​にて​音譯​​オンヤク​し、​本文​​ホンブン​の​右側​​ミギガハ​に​蒙古語​​モウココトバ​を​一語​​ヒトコトバ​ごとに​漢︀字​​カラモジ​にて​俗語​​ゾクゴ​に譯し、​一段 一節︀​​イチダン イツセツ​の​終​​ヲハ​りに、又は​段落​​ダンラク​の​切​​キ​れざる​處​​トコロ​にても、​文章​​ブンシヤウ​の​長過​​ナガス​ぐる​處​​トコロ​は​程善​​ホドヨ​く​切​​キ​りて、本文の​大意​​タイイ​を漢︀字にて​俗文​​ゾクブン​に譯し、本文よりは三字ほど​下​​サ​げて​錄​​シル​せり。​故​​ユヱ​にこの​譯本​​ヤクホン​は、​委兀兒字​​ウイウルモジ​の​漢︀字 音譯​​カンジ オンヤク​と​蒙古語​​モウココトバ​の​漢︀字 俗語譯​​カンジ ゾクゴヤク​と​蒙古文​​モウコブン​の​漢︀字 俗文譯​​カンジ ゾクブンヤク​と​三樣​​サンヤウ​の譯を​備​​ソナ​へたる​珍​​メヅラ​しき​本​​ホン​なり。今の寫本は、​全部​​ゼンブ​ 十二卷を​六册​​ロクサツ​に